心敬
心敬が理想とした連歌
『心敬僧都庭訓』に以下のように書かれている。
雲間の月を見る如くなる句がおもしろく候。(中略)八月十五夜の月のようなるは、好ましからず候。
つまり、十五夜の満月のような歌よりも、雲に部分が隠れる月のような歌が良いとしている。この美意識は、侘び茶の祖とされる茶人村田珠光も共有していた(『禅鳳雑談』永正9年(1512年)11月11日)[1]。
また、『ささめごと』には
言わぬ所に心をかけ、冷え寂びたるかたを悟り知れとなり。境に入りはてたる人の句は、この風情のみなるべし。
とあり、歌を極めた後は、気持ちの全てを言葉で言い表さない「余情体」の歌を詠むべきとしている。この美意識も、武野紹鴎などの茶人に共有されている(『山上宗二記』)[2]。
脚注
- 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), p. 236
- 例えば、神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 58-59 を参照。
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