式部卿 (イングランド)

式部卿(しきぶきょう、英語: Lord Great Chamberlain)はイギリスの国務大官の6位にあたる官職で、王璽尚書の下、大司馬の上にあたる。大侍従卿と訳される場合もある。

イギリスの旗 イギリス
式部卿
Lord Great Chamberlain
現職者
第7代キャリントン男爵
(2022年9月8日 - )
任命世襲
創設1120年代
初代ロバート・マレット
俸給なし
式部卿世襲権の共同相続人

伝統的にはウェストミンスター宮殿を管理するものの、1965年の改革によりその権力は君主の住居とウェストミンスター・ホールに限定された[1]

概要

公式の場合では赤い宮廷制服を着て、職務のしるしとして金色の鍵と白い杖を持つ。

式部卿の職は世襲であり、1780年より「属人的」(in gross)とされる。すなわち、式部卿の職務を執る人間はどの時点でも1人であるが、式部卿の職を部分的に継承している多数の人物は技術上では「共同世襲式部卿」(Joint Hereditary Lord Great Chamberlain)であり、職務を執る権利は継承権を有する人物の間で順番に行使される。例えば、第7代チャムリー侯爵は継承権のうち2分の1を有するため、君主2人毎に1回職務を執るか副式部卿を任命する権利を行使できる。

副式部卿(Deputy Lord Great Chamberlain)とは式部卿の継承権がないにも関わらず、その職務を執る人物のことであり、歴史上では式部卿の継承権を有する女性が(貴族院議員になれなかったため)夫や息子を任命しているケースがある。ただし、女性が貴族院議員になれないという制限は1963年貴族法により廃止されている[2]

式部卿は世襲でない宮廷職である宮内長官Lord Chamberlain)とは別であり、宮内長官は14世紀に式部卿の副官として創設され、王室の家政における式部卿の職務にあたったが、現代では関係が薄くなっている。

1999年貴族院法により世襲貴族は貴族院における議席を自動的に得る権利を失ったが、式部卿と軍務伯は儀礼の職務を果たす必要があるため、両職についている世襲貴族はその対象外と定められた。

歴史

2011年5月、式部卿第7代チャムリー侯爵(左)が官職のしるしである白い杖をもち、貴族院議長ヘレン・ヘイマン庶民院議長ジョン・バーコウが米国大統領バラク・オバマにウェストミンスター宮殿のメンバーズ・ロビーを示している様子

最初の式部卿はウィリアム征服王の戦友ウィリアム・マレットの息子ロバート・マレットだったが、彼は1133年にイングランド王ヘンリー1世に罷免され、代わりにオーブリー・ド・ヴィアー2世を任命した[3]。オーブリー・ド・ヴィアー2世の息子オーブリー・ド・ヴィアーオックスフォード伯爵に叙され、以降歴代オックスフォード伯爵が(大逆罪により罷免され中断した時期はあったものの)式部卿の官職を継承した[3]。しかし、1526年に第14代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアーが死去、6等親のジョン・ド・ヴィアー(14代伯の祖父の弟の孫)が第15代オックスフォード伯爵になると、国王ヘンリー8世は式部卿の官職を国王所有と宣言し、第15代オックスフォード伯爵を1代限りで式部卿に任命した[3]。1540年に第15代オックスフォード伯爵が死去すると、ヘンリー8世は側近の初代エセックス伯トマス・クロムウェルを式部卿に任命した[4]。同年にクロムウェルが処刑されると、しばらくは宮廷の人物が任命されたが、メアリー1世の治世になって第16代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアーが1代限りで式部卿に任命された[5]。その後、メアリー1世はオックスフォード伯爵家に式部卿の世襲権があるとの裁定を下し、エリザベス1世もそれに従った[3]

第16代オックスフォード伯爵の後は17代伯18代伯と続いたが、1626年に18代伯が死去すると、オックスフォード伯爵は7等親であるロバート・ド・ヴィアー(18代伯の曾祖父の弟の孫)が継承した。チャールズ1世は女系ながら5等親である第14代ウィラビー・デ・エアズビー男爵ロバート・バーティー(18代伯の祖父の妹の息子)が式部卿を継承するとの裁定を下した。以降はリンジー伯爵家(1715年にアンカスター=ケスティーヴァン公爵家に昇格)が継承したが、1779年に第4代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ロバート・バーティーが子供なくして死去した。継承者には叔父ブラウンロー・バーティーと2人の妹(プリシラジョージアナ)がおり、公爵の爵位は叔父が継承したものの貴族院は2人の妹が共同で式部卿の継承権を有し、副官を任命して職務を全うすることができると裁定した。ウィラビー・デ・エアズビー男爵の爵位については2人の妹の間で停止状態になったが、1780年3月18日にプリシラが継承するとの裁定が下され解消された[6]。ジョージアナは後に初代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリーと結婚した。以降は式部卿の継承権がプリシラとジョージアナの間で分割され、プリシラの継承権は後に孫娘2人の間で分割され、さらに以降も細分化が進むこととなる。一方、ジョージアナの継承権は第2代チャムリー侯爵、第3代チャムリー侯爵と男子1人による継承が続き、分割されることはなかった。

1901年にヴィクトリア女王が死去すると、式部卿の職務を執っていた初代アンカスター伯爵ギルバート・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー(プリシラの子孫、継承権は4分の1)が自身に式部卿の職の単独継承権があるを主張した[3]。同じく継承権のある初代キャリントン伯爵チャールズ・ウィン=キャリントン(プリシラの子孫、継承権は4分の1)と第4代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー(ジョージアナの子孫、継承権は2分の1)は当然ながら異議を唱え、さらに国王エドワード7世も1526年のヘンリー8世の裁定に基づき単独継承権を主張した[3]。論争はしばらく続いたが、貴族院は1902年に調査を拒否、1780年の裁定を再確認するに留まった[3]

1965年に改革が行われ、式部卿の権力がウェストミンスター宮殿の全体から一部に限定された[7]

2022年9月の王の代替わり以降、7代キャリントン男爵ルパート・キャリントンが式部卿を勤めている[8]。ルパートは、2018年11月に貴族院議員として貴族同士の選挙において選出されていたので、式部卿就任以前から貴族院議員であった。ルパートは、母親から継承権を継ぎ式部卿を勤めた初代リンカンシャー侯爵・3代キャリントン男爵チャールズ・ロバート・ウィン=キャリントンの娘5人の子孫ではなく、3代キャリントン男爵の同母弟(第4代キャリントン男爵)の曽孫である。

式部卿(1130年 – 1779年)

在任年 在任者
1120年代 – 1133年 ロバート・マレット
1133年 – 1141年 オーブリー・ド・ヴィアー2世
1141年 – 1194年 初代オックスフォード伯爵オーブリー・ド・ヴィアー
1194年 – 1214年 第2代オックスフォード伯爵オーブリー・ド・ヴィアー
1214年 – 1221年 第3代オックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアー
1221年 – 1263年 第4代オックスフォード伯爵ヒュー・ド・ヴィアー
1263年 – 1265年 第5代オックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアー
1265年 – 1267年 不明、おそらく空位
1267年 – 1296年 不明、おそらく第5代オックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアー
1296年 – 1331年 第6代オックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアー
1331年 – 1360年 第7代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1360年 – 1371年 第8代オックスフォード伯爵トマス・ド・ヴィアー
1371年 – 1388年 第9代オックスフォード伯爵ロバート・ド・ヴィアー
1389年 – 1399年 初代エクセター公爵ジョン・ホランド
1399年 – 1400年 第10代オックスフォード伯爵オーブリー・ド・ヴィアー
1400年 – 1417年 第11代オックスフォード伯爵リチャード・ド・ヴィアー
1417年 – 1462年 第12代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1462年 – 1475年 第13代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1475年 – 1485年 不明、おそらく第4代ノーサンバランド伯爵ヘンリー・パーシー第13代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1485年 – 1513年 第13代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1513年 – 1526年 第14代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1526年 – 1540年 第15代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1540年 – 1540年 初代エセックス伯爵トマス・クロムウェル
1540年 – 1542年 初代サセックス伯爵ロバート・ラドクリフ
1543年 – 1549年 初代サマセット公爵エドワード・シーモア
1549年 – 1550年 初代ノーサンバランド公爵ジョン・ダドリー
1550年 – 1553年 初代ノーサンプトン侯爵ウィリアム・パー
1553年 – 1562年 第16代オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアー
1562年 – 1604年 第17代オックスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィアー
1604年 – 1625年 第18代オックスフォード伯爵ヘンリー・ド・ヴィアー
1626年 – 1642年 初代リンジー伯爵ロバート・バーティー
1642年 – 1666年 第2代リンジー伯爵モンタギュー・バーティー
1666年 – 1701年 第3代リンジー伯爵ロバート・バーティー[9]
1701年 – 1723年 初代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ロバート・バーティー[9]
1723年 – 1742年 第2代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティー[9]
1742年 – 1778年 第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティー[9]
1778年 – 1779年 第4代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ロバート・バーティー[9]

共同世襲式部卿(1780年以降)

下記では各継承者の有する継承権を分数で示しており、太い字は2019年時点で継承権を有する人物を示す。

第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第21代ウィラビー・デ・エアズビー女男爵プリシラ・バーティー
12 1780年 – 1828年
 
チャムリー侯爵夫人ジョージアナ・チャムリー
12 1780年 – 1838年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第22代ウィラビー・デ・エアズビー男爵ピーター・ドラモンド=バレル
12 1828年 – 1865年
 
第2代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー
12 1838年 – 1870年
 
第3代チャムリー侯爵ウィリアム・チャムリー
12 1870年 – 1884年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第23代ウィラビー・デ・エアズビー男爵アルビリック・ドラモンド=ウィラビー
12 1865年 – 1870年
 
第24代ウィラビー・デ・エアズビー女男爵クレメンティナ・ドラモンド=ウィラビー
14 1870年 – 1888年
 
キャリントン男爵夫人シャーロット・オーガスタ・キャリントン
14 1870年 – 1879年
 
マルパス子爵チャールズ・ジョージ・チャムリー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初代アンカスター伯爵ギルバート・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー
14 1888年 – 1910年
 
初代リンカンシャー侯爵チャールズ・ウィン=キャリントン
14 1879年 – 1928年
第4代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー
12 1884年 – 1923年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第2代アンカスター伯爵ギルバート・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー
14 1910年 – 1951年
 
ナンバーンホルム男爵夫人マージョリー・ウィルソン
120 1928年 – 1968年
アレクサンドラ・ルウェレン・パルマー
120 1928年 – 1955年
ダートマス伯爵夫人ルパータ・レッグ
120 1928年 – 1963年
アルベマール伯爵夫人ジュディス・ケッペル
 
ヴィクトリア・ウェルド=フォレスター
120 1928年 – 1966年
 
第5代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー
12 1923年 – 1968年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第3代アンカスター伯爵ジェームズ・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー
14 1951年 – 1983年
 
第3代ナンバーンホルム男爵チャールズ・ウィルソン
120 1968年 – 1974年
 
アンソニー・ルウェレン・パルマー
120 1955年 – 1990年
ティモシー・ルウェレン・パルマー
 
 
バリー子爵デレック・ケッペル
120 1928年 – 1968年
 
サー・ハリー・レッグ=ボーク
120 1966年 – 1973年
 
第6代チャムリー侯爵ヒュー・チャムリー
12 1968年 – 1990年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第28代ウィラビー・デ・エアズビー女男爵ジェーン・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー
14 1983年 –
 
第4代ナンバーンホルム男爵ベン・ウィルソン
120 1974年 – 1998年
ジュリアン・ルウェレン・パルマー
120 1990年 – 2002年
 
 
第10代アルベマール伯爵ルーファス・ケッペル
120 1968年 –
 
ウィリアム・レッグ=ボーク
120 1973年 – 2009年
 
第7代チャムリー侯爵デイヴィッド・チャムリー
12 1990年 –
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ニコラス・ルウェレン・パルマー
120 2002年 –
メアリー・フィンドレイ
1100 1963年 – 2003年
 
エリザベス・バセット
1100 1963年 – 2000年
 
ダイアナ・マシューズ
1100 1963年 – 1970年
 
バルバラ・クフャトコフスカ
1100 1963年 – 2013年
 
ドニゴール侯爵夫人ジョスリン・チチェスター
1100 1963年 – 1995年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョナサン・フィンドレイ
1100 2003年 – 2015年
クリストファー・フィンドレイ
1100 2015年 –
 
ブライアン・バセット
1100 2000年 – 2010年
 
ジェームズ・グスタヴァス・ハミルトン=ラッセル
1100 1970年 –
 
ヤン・ヴィトルト・クフャトコフスキ
1100 2013年 –
 
第8代ドニゴール侯爵パトリック・チチェスター
1100 1995年 –
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロレイン・ウィルソン閣下
180 1998年 –
タティアナ・デント閣下
180 1998年 –
イネス・ガートン閣下
180 1998年 –
イサベル・ウィルソン閣下
180 1998年 –
デイヴィッド・バセット
1100 2010年
マイケル・ジェームズ・バセット
1100 2010年 –
 
 
ハリー・ラッセル・レッグ=ボーク
120 2009年 –

式部卿の職務を執った人物(1780年以降)

式部卿の職務を執った人物(1780年以降) 在任年 君主
初代グウィディア男爵ピーター・バレル(副式部卿) 1780年 – 1820年 ジョージ3世
初代グウィディア男爵ピーター・バレル(副式部卿) 1820年 – 1821年 ジョージ4世
第2代グアイディア男爵ピーター・ドラモンド=バレル(副式部卿) 1821年 – 1828年
第22代ウィラビー・デ・エアズビー男爵ピーター・ドラモンド=バレル 1828年 – 1830年
第2代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー(副式部卿) 1830年 – 1837年 ウィリアム4世
第22代ウィラビー・デ・エアズビー男爵ピーター・ドラモンド=バレル 1837年 – 1865年 ヴィクトリア
第23代ウィラビー・デ・エアズビー男爵アルビリック・ドラモンド=ウィラビー 1865年 – 1870年
第2代エイヴランド男爵ギルバート・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー(副式部卿) 1871年 – 1888年
初代アンカスター伯爵ギルバート・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー 1888年 – 1901年
第4代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー 1901年 – 1910年 エドワード7世
初代リンカンシャー侯爵チャールズ・ウィン=キャリントン 1910年 – 1928年 ジョージ5世
ルイシャム子爵ウィリアム・レッグ(副式部卿) 1928年 – 1936年
第5代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー 1936年 エドワード8世
第2代アンカスター伯爵ギルバート・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー 1936年 – 1951年 ジョージ6世
第3代アンカスター伯爵ジェームズ・ヒースコート=ドラモンド=ウィラビー 1951年 – 1952年
第5代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリー 1952年 – 1966年 エリザベス2世
ロックサヴェイジ伯爵ヒュー・チャムリー(副式部卿)[10] 1966年 – 1968年
第6代チャムリー侯爵ヒュー・チャムリー 1968年 – 1990年
第7代チャムリー侯爵デイヴィッド・チャムリー 1990年 – 2022年
第7代キャリントン男爵ルパート・キャリントン 2022年 - チャールズ3世

脚注

  1. "Control and Custody of the Palace of Westminster". Parliamentary Debates (Hansard) (英語). House of Commons. 23 March 1965. 2019年5月1日閲覧
  2. "Peerage Act 1963". legislation.gov.uk (英語). 2019年5月2日閲覧
  3. Round, John Horace (1911). "Lord Great Chamberlain" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 2–3.
  4. Mortimer, Thomas (ed.). The British Plutarch (英語). p. 115.
  5. Loades, D. (2004) Intrigue and Treason: the Tudor Court, 1547–1558 Harlow: Pearson, p. 309.
  6. (英語) Burke's Peerage (99th edition ed.). (1949). p. 52. https://archive.org/details/burkesgenealogic1949unse/page/52
  7. "Control and Custody of the Palace of Westminster". Parliamentary Debates (Hansard) (英語). House of Commons. 23 March 1965. 2019年5月1日閲覧
  8. Nast, Condé (2022年9月13日). The Marquess of Cholmondeley replaced by Lord Carrington as Lord Great Chamberlain (英語). Tatler. 2023年1月9日閲覧。
  9. Cook, Chris; Stevenson, John (1988). British Historical Facts 1688–1760 (英語) (1st ed.). The Macmillan Press. p. 82. ISBN 978-1-349-02369-1
  10. 1968年、父の死去に伴いチャムリー侯爵を継承。

外部リンク

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