建春門院伯耆
逸話
- 1205年(元久2年)正月19日の朝覲行幸において、後鳥羽院によって琵琶の秘曲が演奏された[* 2]ことが、朝廷内での一大ニュースとなった。これについて、土御門天皇方を代表して伯耆が、後鳥羽院方を代表して下野が、歌の応酬をしている。
まことや行幸の御遊の御ひわのしらへめつらかなるよし よにののしりあへるを
— 『源家長日記』 元久二年正月
うちの女房ははきのつほねそうせよとおほしくて
よしとははいともかしこしつのくにの こやさきのよのしるへなるらん
かへしせよと仰あれは 下野
なにかいふむかしもいまもためしなく 雲のうへまてひひくしらへを
作品
名称 | 時期 | 作者名表記 | 備考 |
---|---|---|---|
石清水若宮歌合 | 1200年(正治2年) | 内裏伯耆 | 西園寺公経と番い勝1持3無判1 |
仙洞影供歌合 | 1202年(建仁2年)5月26日 | 女房伯耆 | 藤原隆房と番い負1持2 |
- 家集は伝存しない。
脚注
注釈
- 「基仲法師」とも。鹿ケ谷の陰謀に連座して捕縛された。
- 「元久2年正月19日 土御門朝覲行幸、東宮順徳御覧、後鳥羽琵琶玄上(『遊』『源家長日記』『御記』)」(今村(参考文献))
出典
- 『たまきはる』 女房の名寄
- 『石清水若宮歌合』 道清法印結構 正治二年
- 『古今著聞集』 巻第十九 草木第廿九 662 「冷泉中将定家南庭の八重桜の枝を折り取ること」
参考文献
- 今村みゑ子 「順徳天皇と音楽」 『明月記研究 7号 記録と文学』 2002年12月 明月記研究会
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