平河天満宮

平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)は、東京都千代田区平河町にある神社天満宮)。

平河天満宮

鳥居正面
所在地 東京都千代田区平河町1-7-5
位置 北緯35度40分56.802秒 東経139度44分26.639秒
主祭神 菅原道真
社格村社
創建 文明10年(1478年[1]
例祭 例大祭(4月25日[1]
地図
平河天満宮の位置(東京都区部内)
平河天満宮
平河天満宮

祭神

歴史

創建は文明10年(1478年江戸平河城城主太田道灌が、菅原道真の霊夢により城内の梅林坂上に当社を創建した[2]天正18年(1590年徳川家康が江戸入城後、本丸築造に当たり上平河村に奉遷した[2]。さらに慶長11年(1606年)に、徳川秀忠江戸城増築に伴い現在地に奉遷された[2]。紀州尾張両徳川家、彦根藩井伊家の祈願所になり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独拝謁できる格式の待遇を受けていた。

蘭学者高野長英の大観堂学塾は平河天満宮のすぐ裏手にあったので、高野長英はよく参拝に訪れた。また、江戸時代の盲目の国学者塙保己一(はなわほきいち)も平河天満宮の熱心な信者で、平河天満宮に祈願しながら『群書類従』を完成させた。塙保己一の住まいの和学講習所は、現在の千代田区三番町24にあった[3]

火災による十数度の類焼を被っており、1923年大正12年)の関東大震災1945年昭和20年)の戦災ではほとんどの施設を焼失していた。戦後、仮社殿にて祭祀を執り行っていたが、1969年(昭和44年)に本殿が再建された。学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、目高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられている。現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛の祈願者が多くいる。

境内社

祭事

各行事ごとに、御朱印が発行される。例大祭では、境内に屋台が並ぶ。七夕祭では、短冊が出されて、願い事が書くことができる[5]

文化財

有形文化財(区指定)

有形民俗文化財(区指定)

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

注釈

  1. 学問、特に医学や芸能、商売繁盛等の祈願者が多くある。

出典

参考文献

外部リンク

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