三笠駅 (北海道)
三笠駅(みかさえき)は、北海道三笠市本町にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線の駅(廃駅)である。電報略号はカサ。事務管理コードは▲131502[2]。
三笠駅 | |
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復元された旧幌内太駅舎(2007年5月) | |
みかさ Mikasa | |
所在地 | 北海道三笠市本町 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
電報略号 | カサ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
開業年月日 | 1882年(明治15年)11月13日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)7月13日[1] |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | 幌内線 |
キロ程 | 10.9 km(岩見沢起点) |
所属路線 | 幌内線(支線) |
キロ程 | 0.0 km(三笠起点) |
備考 | 幌内線廃線に伴い廃駅 |
歴史
1878年(明治11年)当時の開拓事業停滞の打開策として打ち出された炭田開発の一環として、茅沼炭鉱に次いで開山した北海道内2番目の炭鉱である幌内炭鉱から、札幌を経由して小樽港まで石炭を運ぶ目的のために敷設された北海道内最初の鉄道である幌内鉄道の主要駅として幌内太駅の名称で開業した。先に開通していた手宮 - 札幌間の手宮駅、住吉駅(現:南小樽駅)、銭函駅、札幌駅に次いで、同時開業の江別駅、幌内駅と並んで北海道内で5番目に古い駅であった。
年表
- 1882年(明治15年)
- 1888年(明治21年)12月10日:当駅 - 郁春別(後の幾春別)間の支線が開業。
- 1889年(明治22年)12月11日:北海道炭礦鉄道に譲渡。
- 1901年(明治34年)5月:跨線橋設置。
- 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管[1]。
- 1910年(明治43年)5月:幌内太機関庫が岩見沢機関庫幌内太分庫となる。
- 1914年(大正3年)10月:三笠炭砿(後に住友に買収されて唐松炭砿と改称)から当駅積込場へ馬車軌道4.8 km 敷設。
- 1929年(昭和4年)12月25日:唐松駅開設により、唐松炭砿からの馬車軌道廃止。
- 1940年(昭和15年)9月:跨線橋改築。
- 1944年(昭和19年)4月1日:駅名を三笠駅に改称[1]。
- 1958年(昭和33年)3月:駅舎および跨線橋を改築。
- 1981年(昭和56年)5月25日:貨物の取り扱いを廃止[3]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)
駅構造
1面1線の単式ホームと1面2線の島式ホームを複合した計2面3線のホームと線路を有する、列車行き違い可能な有人駅で、ホーム間は跨線橋で結ばれていた。幌内方面の線路は当駅の岩見沢方で分岐しており、幌内方面への列車は当駅のホームに直接入線できない配線であった。 また、機関庫開設当初はデルタ線(Y線)、後に転車台の入換設備が設けられた。
駅跡
現在、三笠駅は三笠鉄道村三笠ゾーン(クロフォード公園)として現在も活用されており、跨線橋とホームが現存している。廃止後、駅舎を取り壊し、初代駅舎を再現した上で再整備されている。
隣の駅
脚注
- 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、841頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- “日本国有鉄道公示第29号”. 官報. (1981年5月23日)
- 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、60-61頁。ASIN B000J9RBUY。
外部リンク
- 田本写真帳から幌内太停車場 - 函館市中央図書館所蔵デジタルアーカイブ 右上の写真。官営幌内鉄道時代。
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