市河恭斎
略伝
稲毛屋山の子。備中庭瀬藩に仕えた。市河米庵の門下で書の才能が開花した。米庵に継嗣がなかったので請われて養子となる。性格は温和で人に好かれた。書はとりわけ小楷に優れ、小米と称された。詩文をよくし、篆刻に巧みであった。江戸下谷に住んだ。38歳で夭折した。
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