川村秀
川村 秀(かわむら すぐる、1933年6月4日 - )は、日本の歴史学者、翻訳家、通訳。
かわむら すぐる 川村 秀 | |
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生誕 | 1933年6月4日(89歳) 日本 静岡県沼津市 |
出身校 | 早稲田大学 |
職業 | 日露史研究者 歴史学者 翻訳家 通訳 |
配偶者 | エレーナ・アレクサンドロフナ・スクドノーワ |
子供 | 川村カオリ(娘)、川村忠(息子) |
人物・来歴
1933年(昭和8年)6月4日、静岡県沼津市生まれ。東京都立北園高等学校(旧・東京府立第九中学校)を経て、早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。ロシア史家。翻訳家。川上貿易、蝶理等のモスクワ駐在員を経て、1990年(平成2年)、積水樹脂とアース・コーポレーションを設立、代表取締役副社長としてモスクワ常駐。その間、ロシア科学アカデミー東洋学研究所と日露文化センターを設立。1994年(平成6年)に退職後は、大学への留学生の交換や研究論文の発表など日露間の学術・文化交流に従事。また、晩年の杉原千畝を直接知る数少ない歴史の証人として、その事績を若い世代に伝えている[1]。
家族
歌手の川村カオリ、俳優の川村忠の父。芥川賞作家・川村晃の弟。川上貿易モスクワ駐在員時代にエレーナ・アレクサンドロフナ・スクドノーワと結婚した際の仲人が杉原千畝 [2][3]であり、杉原千畝と同様、家族も含め正教徒。妻と娘を乳癌で亡くしている。
略年譜
- 1995年(平成7年)
- 1999年(平成11年)
- NPO日ロ交流協会モスクワ代表・常任理事・出版事業部会長として、露日協会と共同で司馬遼太郎著『ロシアについて』をモスクワで出版。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 3月、ロシアRTR-TVの世界の諜報戦争シリーズの『ロシア対日本』篇1、2を各々45分を2週にわたり放映。アレクセイ・キリチェンコのシナリオで、編集・日本での取材に参加。ソ連・ロシア時代を通して初めて「客観的な日露・日ソ関係史の真相」を旧ソ連加盟諸国 および東欧市民に公開させた。しかし、その反響の大きさのために、戦後篇3の製作はロシア政府の許可が下りず、米英独仏など他国シリーズは3週放映されたにもかかわらず、「日本篇」のみ2週で放映を打ち切られたが、今年になっても「ロシア対日本」篇のみ時々再放映されている。
- 産経新聞社『正論』7月号にアレクセイ・キリチェンコの論文「東京裁判へクレムリン秘密指令」を邦訳掲載。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 10月、「日露史探訪ツアー」『川村カオリが眠るモスクワへの旅』2つのツアーをロシアへ案内した。
- 2013年 (平成25年)
著作物
著書
論文・記事
- 「がんを生きる」(『文藝春秋 SPECIAL』2011年8月季刊秋号)
翻訳
- ソ連バレーボールコーチ編『六人制バレーボール』(ベースボールマガジン社、1959年)
- 司馬遼太郎『ロシアについて』『最後の将軍』(国際交流基金翻訳助成)
- 渋沢栄一自伝『雨夜譚』(ロシア語版をロシア外務省外交アカデミー付属出版社)
- 石橋湛山『湛山回想』(日本ユーラシア協会/露日協会共同プロジェクト)
- 長田新編『原爆の子』(国際交流基金翻訳助成)
- 「KGBファイル「ラストボロフ秘史」」(『文藝春秋』2004年11月号)
- アレクセイ・キリチェンコ 「東京裁判へクレムリン秘密指令」(『正論』2005年7月号)
- アレクセイ・キリチェンコ 「コミンテルンと日本、その秘密諜報戦をあばく」(『正論』2006年10月号)
- アレクセイ・キリチェンコ『知られざる日露の二百年』編、名越陽子訳(現代思潮新社、2013年3月)
参考文献
脚注
- PHP人名辞典
- 川村カオリ『Helter Skelter』p.11
- 渡辺勝正『杉原千畝の悲劇』 pp.154-163.
関連項目
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