島崎敏樹 (精神科医)
島崎 敏樹(しまざき としき、1912年11月8日 - 1975年3月17日)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。東京医科歯科大学名誉教授。医学博士[1][2]。
生誕 |
西丸 敏樹 (にしまる としき) 1912年11月8日 日本・東京 |
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死没 |
1975年3月17日(62歳没) 日本 |
居住 | 日本 |
国籍 | 日本 |
研究分野 |
精神医学 精神病理学 |
研究機関 |
東京帝国大学医学部 東京医科歯科大学医学部 成蹊大学 田中千代学園短期大学 |
出身校 |
東京帝国大学医学部医学科 医学博士(東京大学・1949年) |
主な受賞歴 | 瑞宝章(1975年) |
プロジェクト:人物伝 |
東京医科歯科大学医学部精神医学教室初代教授となり、日本における精神病理学の礎を築いた。西丸四方、村上仁らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。
来歴
人物
精神科医として
村上仁、西丸四方らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である[3]。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。島崎は人間を「個々の症状の寄せ木細工としてでなく、人格の深みから孤立化していく人間像としてとらえなおそう」とする学風で知られており、主論文『精神分裂病における人格の自律性の意識の障碍』は日本における精神病理学の嚆矢となった。直弟子に宮本忠雄、小田晋、永田俊彦らが、孫弟子には市橋秀夫、井原裕らがいる。ファントム理論の安永浩、初期統合失調症の中安信夫など、後学に大きな影響を与えた[4]。
著書
単著
論文
- 「人間的分化機能の喪失を来たした癲癇痙攣性脳損傷例」 『精神神経学雑誌』 第43巻 2号 1939年
- 「精神薄弱の病理解剖」 『精神神経学雑誌』 第47巻 1号 1943年
- 「ドイツとアメリカの人間観-精神病理学から」 『季刊・社会学』 第4号 1950年
- 「人格の病 第一部 - 第四部」 『思想』 第288号 1948年 - 第320号 1951年
- 「精神分裂病における人格の自律性の意識の障碍 (上下)」 『精神神経学雑誌』 第50巻 6号 1949年 - 第51巻 1号 1950年
- 「精神分裂病における感情移入の障碍」 『脳研究』 第4巻 1949年
- 「『人格』の精神病理」 『思想』 第376号 1955年
- 「現代美術と精神分析学」 『内村祐之教授還暦記念論文集』 1959年
- 「神経症の心理療法」 『総合臨床』 第11巻 1962年
- 共著 「幻覚研究の歴史的展望」 『精神医学』 第4巻 4号 - 5号 1962年
- 中根晃と共著 「幻覚」 『異常心理学講座 10. 精神病理学 4 』 みすず書房 1965年
脚注
- 島崎敏樹『生きるとは何か』岩波書店、1974年1月。ISBN 9784004120780。
- 島崎敏樹. “精神分裂病における人格の自律性の意識の障碍”. 国立国会図書館. 2013年4月15日閲覧。
- 村上靖彦、永田俊彦、市橋秀夫、中安信夫 (2005) pp. 78 - 79.
- 井原裕 (2006) p.7
- 島崎敏樹「陽気な現代」『現代国語一』第13巻第3号、明治書院、1977年。
- 島崎敏樹『心で見る世界』岩波書店、1960年。 2001年大学入試センター試験『国語一』第一問 掲載
- 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
参考文献
外部リンク
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