山下菊二
経歴
徳島県三好市に生まれる。1937年、香川県立工芸学校卒業。翌1938年に上京し、福沢一郎の絵画研究所に入る。
1944年から1949年まで東宝映画教育映画部に勤務[1]、この間、応召による戦場体験と1946年から1948年までの東宝争議を体験した。 1946年、高山良策、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。
1949年、美術文化協会の会員になるが、翌年、退会。以後、多くの会を結成、あるいは参加。また、日本共産党に入党し、山村工作隊にも参加した。
1952年、小河内村でのダム反対闘争に参加。以後、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに関与。兄の谷口董美も画家。 新潮文庫の大江健三郎作品の表紙を描いた。 1975年に、筋萎縮症と判断される。1986年、死去。
権力や差別、天皇制や庶民意識の問題と向かい合い、渾沌たる現実を超現実主義の方法で戯画化したり、探訪絵画を創案して、事件を紙芝居化するなど、その絵画は、戦後史の証言ともなる重要なものである。家の中で梟を飼っていた。[2]
代表作に《あけぼの村物語》(1953年)《見られぬ祭》(1965年)《葬列》(1967年)《転化期》(1968年)などがある。
画集など
- 『くずれる沼 - 画家・山下菊二の世界』(すばる書房) 1979年
- 『山下菊二画集 1919-1986』(美術出版社) 1988
展覧会
- 「山下菊二展」 神奈川県立近代美術館ほか編 1996
- 「谷口董美、山下菊二兄弟故郷のイメージを描く」 徳島県立近代美術館 2009
- 「山下菊二コラージュ展」 神奈川県立近代美術館 2011
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.