小牧秋葉祭
歴史
- 天明年間(1781-1789年) - 中町に在住した成田屋又七が発起して、山車1両を奉納[1][2][3]。その後、横町・上本町・下本町の山車が加わる。
- 大正2年(1913年) - 秋葉社が、それまでの西町(玉林寺の前)から現在地(小牧神明社境内)に遷される[4]。
- 太平洋戦争中は、一時中止。
- 昭和29年(1954年) - 日程を、それまでの「旧暦7月26日-28日」(3日間)から「7月28日-29日」(2日間)に変更。山車の巡行コース等も簡素化[5]。
- 昭和34年(1959年) - 伊勢湾台風で、山車蔵(山車用の倉庫)[注釈 1]が倒壊。以降、祭が中断[1][5]。
- 昭和52年(1977年) - 神明社西側に山車蔵を新設。祭が再開[5]。日程も、現在の「8月20日前後の土・日曜」となる。
- 昭和57年(1982年)7月27日 - 秋葉祭の山車が、小牧市指定有形民俗文化財となる[1]。
- 平成3-4年(1991-1992年) - 市の補助を受けて、山車全4両を解体修理[1]。
- 令和2-4年(2020-2022年) - 新型コロナウイルス感染症の流行を受け、山車の巡行・からくり奉納を中止[6][7][8]。
概要
土曜日には宵山が行われ、各町内を回った後、ラピオの前に集合する。
日曜日は昼に行われ、各町内を出発した山車が神明社に集まり、4両による壮麗な祭絵巻が繰り広げられる。途中に各町内にある屋根神の前で奉納する。
各山車の詳細・演目
唐子車(からこしゃ) 【中町】
山車本体については、上述。からくりは、中唐子・小唐子と采振り人形(唐子)の3体で、文政年間(1818年-1830年)に3代目玉屋庄兵衛の作によると伝えられる。
中唐子が小唐子に太鼓のたたき方を教えると、それをまねて小唐子が梅の木で倒立をして太鼓をたたく。
「秋葉車」・「鼻車」の別称を持ち、秋葉社でのからくり奉納や道行の際は常に先頭となる。
聖王車(せいおうしゃ) 【横町】
山車本体は、江戸時代末期から明治初年の間に、枇杷島から購入したと伝えられる。からくりは、聖王と唐子2体と采振り人形。聖王人形は文政7年(1824年)に隅田仁兵衛が、唐子2体と采振り人形は安政2年(1855年)に5代目玉屋庄兵衛が、それぞれ製作したものとされている。
一方の唐子が、もう一方の唐子の肩の上で倒立をして太鼓をたたくと、大将人形の聖王が軍配を振ってほめる。
特徴
出典
- “小牧市/秋葉祭の山車”. 小牧市 (2017年8月31日). 2017年12月10日閲覧。
- 千田 1991, p. 231.
- 小牧市文化財資料委員会 1993, p. 30.
- 小牧市文化財資料委員会 1993, p. 14-15.
- 小牧市文化財資料委員会 1993, p. 17.
- “新型コロナ拡大、山車奉納は中止 小牧の秋葉祭”. 中日新聞Web. 中日新聞社 (2020年6月4日). 2022年12月25日閲覧。
- 水谷元海「小牧「秋葉祭」2年連続中止に 太鼓のリズム忘れないで 担い手の子どもら練習会」、中日新聞2021年9月4日付朝刊、近郊版、15頁
- 「子どもらが秋葉祭おはやし 小牧令和夏まつりであす演奏」、中日新聞2022年8月19日付朝刊、近郊版、14頁
参考文献
関連項目
- 秋葉祭 (曖昧さ回避)
- 玉屋庄兵衛 - 人形の製作者の1人。
- 小牧市民まつり-パレードに参加している。
外部リンク
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