小島政章
小島 政章(おじま まさあき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。土佐一条氏、後に長宗我部氏の家臣。
凡例 小島 政章 | |
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 天文8年(1539年) |
死没 | 天正19年(1591年) |
官位 | 出雲守 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 一条兼定→長宗我部元親 |
氏族 | 小島氏 |
父母 | 父:小島政春 |
子 | 政倶など |
略歴
永禄12年(1569年)、一条兼定の命を受けて和井舎人佑の拠る和井城を落とし、同城をそのまま居城とした。天正2年(1574年)、兼定が為松若狭守らによって豊後国に追放されると、政章はこれに反発し、追放に加担した家臣らを討った。しかしその隙を突いて長宗我部元親が侵攻して来るとこれに降り、従った。天正15年(1587年)、家督を子・政倶に譲り隠居した。
天正19年(1591年)、死去。
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