小倉の土居跡
小倉の土居跡(おぐらのどいあと)は、富山県砺波市鷹栖[注釈 1]に所在する中世の城館跡である。一向一揆に属し鷹栖館(小倉殿館跡)を拠点とした土豪・小倉六右衛門の子孫・小倉孫左衛門が、天正年間(1573年-1592年)に居住した館と伝わる。「小倉の土居」として砺波市の「ふるさと文化財」史跡登録地[1]。
(富山県) | |
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別名 | |
城郭構造 | 平城(方形居館) |
天守構造 | なし |
築城主 | 小倉孫左衛門 |
築城年 | 天正年間(1573年-1592年)? |
主な城主 | 小倉孫左衛門 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 土塁、堀(埋没) |
指定文化財 | 未指定 |
登録文化財 | 砺波市ふるさと文化財(史跡)「小倉の土居」[1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 県No.208089[2] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯36度38分06.3秒 東経136度55分41.1秒 |
地図 |
小倉の 土居跡 |
概要
典型的な散居村で知られ、小矢部川と庄川により形成された扇状地と沖積地が広がる砺波平野の低地に立地する。現代の圃場整備事業以前は、地籍図から堀で囲まれた約40メートル四方の方形居館の区割りが推定できたが、現在は水田の区割りが変わり、地表面に見られる遺構はコの字形に残る土塁(土居)のみとなっている[3]。なお、土塁の上は共同墓地となっている[4]。
屋敷主とされる小倉孫左衛門は、当地の南約1.5キロメートルにある鷹栖館(小倉殿館跡)を本拠地とした土豪・小倉六右衛門の子孫と伝えられる。鷹栖館は永禄9年(1566年)に一向一揆勢と対立する木舟城の石黒成綱の攻撃を受けて炎上したと伝わるが、その後に孫左衛門が鷹栖村の不動島を開拓して当館を構えたという[5]。
脚注
注釈
出典
- 「砺波市ふるさと文化財登録リスト」砺波市公式HP
- 富山県GISサイト(埋蔵文化財地図)富山県公式HP
- 「「小倉の土居」砺波市教育委員会公式HP(砺波正倉)
- 砺波市教育委員会 2005 p.23
- 砺波市教育委員会 2005 p.24
参考文献
- 鷹栖公民館・中明宗平 1962『鷹栖村史』鷹栖自治振興会・吉田覚治 p.16
- 砺波市史編纂委員会 1965『砺波市史』砺波市
- 平井聖ほか 1980『日本城郭大系第7巻』新人物往来社 p.344
- 砺波市教育委員会 2005『砺波市遺跡詳細分布調査報告1-鷹栖・東野尻・五鹿屋-』砺波市 pp.23-24
関連項目
外部リンク
- 「砺波正倉」砺波市教育委員会公式HP
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