寺田隆造
来歴
寺田家の10代目として、土崎港で生まれた。父は又四郎。1854年(嘉永7年)に祖父の利業は、秋田藩により海岸防備の命を受け、船越村(現在の秋田県男鹿市)へ一家で移転させられた。寺田家初代の利光の六郷移住から、202年目のことで、1858年(安政5年)には船越村から、土崎港へ転居。そのため、隆造は学生時代を秋田町(秋田市)で過ごした。1896年(明治29年)の六郷地震の時、母と共に土崎を離れ、六郷に移住し、同年の暮れに結婚。
六郷に来てからは新農作物の試作、養鶏養蚕(ようけいようさん)などを試行。石川理紀之助翁等の営農指導を受け、学術書等からは先進農業や行政学を学んだ。1927年(昭和2年)からは後藤宙外の後を継ぎ、三期に渡り、六郷町の町長を歴任。1931年(昭和6年)には県下に誇るモダンな六郷小学校の校舎を建設。1932年には町内7000メートルの消火水道管網の工事、1934年には鞠子川に灌漑(かんがい)水分配設備(分水工)を設け、多年の水争いを解消するなど、町の懸案事業を次々と成し遂げた。
エピソード
参考文献
- 『六郷町史』
- 『鐘はかたり清水はささやく(六郷町小史)』、六郷町史編纂委員会編纂、平成16年
脚注
出典
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.