宮城県気仙沼高等学校
宮城県気仙沼高等学校(みやぎけんけせんぬまこうとうがっこう)は、宮城県気仙沼市字常楽に位置する県立高等学校である。略称は気高(けこう)。2005年度に既存で男子校の宮城県気仙沼高等学校と女子校の宮城県鼎が浦高等学校が再編統合されて共学校の宮城県気仙沼高等学校となった。さらに2018年度に宮城県気仙沼西高等学校と統合された。
宮城県気仙沼高等学校 | |
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北緯38度53分42.8秒 東経141度33分29秒 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮城県 |
併合学校 |
宮城県気仙沼高等学校 宮城県鼎が浦高等学校 宮城県気仙沼西高等学校 |
校訓 |
究理創造(きゅうりそうぞう) 和親協同(わしんきょうどう) 至誠励業(しせいれいぎょう) |
設立年月日 | 2005年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 4期(全日制課程) |
学校コード | D104212050034 |
高校コード | 04199J |
所在地 | 〒988-0051 |
宮城県気仙沼市字常楽130 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
- (旧)宮城県気仙沼高等学校
- 1927年3月8日 - 宮城県気仙沼中学校設立認可。
- 1927年4月14日 - 宮城県気仙沼中学校開校式。
- 1948年4月4日 - 学制改革により宮城県気仙沼高等学校に改称。
- 1948年4月14日 - 宮城県気仙沼高等学校開校式。
- (旧)宮城県鼎が浦高等学校
- 1923年3月19日 - 町立気仙沼実科高等女学校設立認可。
- 1924年10月27日 - 宮城県気仙沼実科高等女学校に改称。
- 1943年4月1日 - 宮城県気仙沼高等女学校に改称。
- 1948年4月1日 - 学制改革により宮城県気仙沼女子高等学校に改称。
- 1951年3月1日 - 宮城県鼎が浦高等学校に改称。
- (新)宮城県気仙沼高等学校(統合校)
教育目標
- 新しい時代に対応できる学力の形成を図り、創造的能力の啓発に努め、国家、社会の有為な形成者としての資質を養う。
- 心身を鍛え、豊かな情操と協同の精神を培い、個性の伸長を図る。
- 地域の自然や文化を尊び、国際的視野に立ち活躍する人材を育成する。
部活動
- 運動系
- 硬式野球、軟式野球、バスケットボール、バレーボール、ソフトボール、バドミントン、陸上競技、サッカー、テニス、ソフトテニス、弓道、卓球、フェンシング、柔道、剣道、空手道
- 文化系
- 吹奏楽、マンドリン、写真、合唱、演劇、茶華道、自然科学、文芸、囲碁、将棋、ダンス、軽音楽、美術、調理、情報処理、社会福祉
以前は登山部が存在した。
教職員
出身者
鼎が浦高校出身者については「宮城県鼎が浦高等学校」を参照
- 国会議員
- 市区町村長、地方議会議員
- 研究・教育
- 守屋洋 - 中国文学者、SBI大学院大学教授
- 藤村和男 - 教育学者、教科書研究センター研究部長
- 梅内拓生 - 医学博士、東京大学名誉教授、吉備国際大学学長、世界保健機関本部感染対策次長
- 川島秀一 - 民俗学博士、東北大学災害科学国際研究所教授、日本民俗学会会長
- 長峯純一 - 経済学博士、関西学院大学教授、副学長
- 法曹・医師
- 経済
- 文学・芸術
- 芸能
- アナウンサー
- スポーツ
備考
女子の制服は鼎が浦高校の黒セーラー服を引き継いでいる。鼎が浦高校と気仙沼高校が統合する際、従来のセーラー服とは異なる制服を新たに採用する案があったが、在校生や卒業生が反対。生徒会が制服改定反対の署名を集めるなどした結果、伝統あるセーラー服が統合後も残されることになった。なお、宮城県の公立高校で現在セーラー服を制服に採用しているのは、本校のほかは仙台市立仙台青陵中等教育学校後期課程の夏服だけである。
2011年の東日本大震災の際には本校体育館が避難所として使用された。また、震災の影響により気仙沼線が不通になったため、これを利用していた生徒らが通学できなくなった。この生徒らは、本校の武道館で生活したり、転校したりした。
外部リンク
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