孝恵賀皇后

孝恵皇后賀氏(こうけいこうごう がし、天成4年(929年) - 顕徳5年(958年))は、の太祖趙匡胤の最初の妻。

生涯

右千牛衛率府率であった賀景思の長女[1]で、賀令図の叔母にあたる。開運元年(944年)、父の同僚であった趙弘殷によって趙匡胤の妻に迎えられた[1]。趙匡胤との間に魏国公主魯国公主趙徳昭の3人の子を儲けた。顕徳3年(956年)に趙匡胤が定国軍節度使に任じられると賀氏も会稽郡夫人に封じられた[1]

顕徳5年(958年)に30歳で死去[1]。趙匡胤が宋を建てた後の建隆3年(962年4月、皇后に追封された。乾徳2年(964年3月に孝恵皇后とされ[2]、4月に安陵の西北にある神主享の別廟に葬られた。

出典

  1. 宋史』巻二百四十二 列伝第一 孝恵賀皇后
  2. 林瑞翰 1992, p. 43

参考資料

  • 林瑞翰『宋代政治史』正中書局、1992年10月1日。ISBN 978-9570900002。
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