妙本寺 (岡山県吉備中央町)
妙本寺(みょうほんじ)は岡山県加賀郡吉備中央町に所在する寺院。宗派は日蓮宗。山号は具足山。本尊は久遠の本師 釈迦牟尼佛[1]。日蓮宗の西国布教の拠点となっていたことから「西身延」と呼ばれる。桃山時代建造の番神堂は国の重要文化財に指定されている。旧本山は大本山妙顕寺。奠師法縁。平成25年(2013年)日蓮宗宗門史跡に指定された。
妙本寺 | |
---|---|
本堂(岡山県指定有形文化財) | |
所在地 | 岡山県加賀郡吉備中央町北1501番地 |
位置 | 北緯34度48分34.1秒 東経133度42分17.1秒 |
山号 | 具足山 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 久遠の本師 釈迦牟尼佛 |
創建年 |
伝・弘安4年(1281年) 一説には建治元年(1275年) |
開基 | 伝・伊達朝義、伝・日像(開山) |
別称 | 西身延 |
文化財 |
番神堂(国の重要文化財) 本堂、備前焼壺・甕(岡山県指定重要文化財) 五輪塔群(吉備中央町指定重要文化財) |
法人番号 | 2260005002658 |
妙本寺 妙本寺 (岡山県) |
概要
寺伝によれば、鎌倉時代中期の建治元年(1275年)に伊達弾正朝義が当地の地頭として赴任した。朝義は龍ノ口法難を目の当たりにし日蓮に帰依したと言われ、弘安4年(1281年)に居館の北東に寺院を建立したと伝えられている(一説には、創建は建治元年(1275年)とされる)。
寺院建立の前年、弘安3年(1280年)朝義は当寺院への日蓮の来訪を依頼するため身延山を訪れたが、日蓮は隠棲を理由に断り代わりに経一丸(後の日像)を使わすことを約束し開山としたと言われる。結局、日像も多忙を理由に当地訪問は叶わず、永仁元年(1293年)に京都に赴いた際に、上京した朝義と面会し大曼荼羅と三十番神を授けたという。
伊達朝義は徳治元年(1306年)66歳で死去したと伝えられる。朝義の死後の正和年間(1312年 - 1317年)日像の高弟、大覚が赴いた。大覚は当寺院を拠点に西国への布教を行った。 妙本寺近隣の寺院は概ね日蓮宗に改宗し、この地域の寺院・檀信徒は「野山法華」と呼ばれている。
南北朝時代の元徳2年(1330年)より戦国時代の元亀元年(1570年)の期間は無住であったと伝えられている。このため伽藍は大破し、天正11年(1583年)に大改修が施されたと伝わる。
毎年、4月12日と9月12日には妙本講が開催されている。
文化財
重要文化財(国指定)
- 妙本寺番神堂
旧末寺
日蓮宗は昭和16年(1941年)に本末を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
- 森原山妙仙寺(岡山県加賀郡吉備中央町北)真言寺院を嘉元2年(1304年)地頭で開基檀越の伊達朝義が実乗院日円の開基で日蓮宗に改めた。
- 天久山妙教寺(岡山県加賀郡吉備中央町岨谷)元応2年(1320年)に大覚妙実が真言寺院を日蓮宗に改めた。
- 宝塔山和泉寺(岡山県加賀郡吉備中央町宮地)嘉元2年(1304年)宝成院日持(蓮永寺の日持とは別人)の開山で創建。
- 一致山本迹寺(岡山県加賀郡吉備中央町西)真言寺院を嘉元2年(1304年)地頭で開基檀越の伊達朝義が智蔵院日覚の開基で日蓮宗に改めた。
- 妙足山円満寺(岡山県加賀郡吉備中央町西)嘉暦年間(1326年-1329年)に大覚妙実が真言寺院を日蓮宗に改めた。
- 名越妙見山真城寺(岡山市北区吉備津)
注釈
- 『吉備の国寺社巡り 2011年版』 山陽新聞社/発行 2011年 38ページに記載
参考文献
- 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 164ページ
- 『吉備の国寺社巡り 2011年版』 山陽新聞社/発行 2011年
- 現地説明板