奥田英子
来歴・人物
1935年(昭和10年)にタイヘイレコードから歌手デビュー。当初の芸名はミス・タイヘイだった。当時は覆面歌手ミス・コロムビア(松原操、歌手・霧島昇夫人)が大人気を博していた時代であり、タイヘイレコードが対抗馬としてデビューさせたのが奥田であった。
1936年(昭和11年)にテイチクに移籍し「別れの歌」がヒット。古賀政男の作品を多く吹き込み、なかでも映画主題歌として歌った1937年(昭和12年)発売の「緑の月」が代表的なヒットとなった。また、同年には「南国の乙女」、「皇国の妻」と続いてヒットを飛ばすなど人気を誇った。
そして1937年(昭和12年)に「恨みは深し通州城」も吹き込んでいる。 1938年(昭和13年)にはポリドールに移籍。
戦後も昭和30年代まで活躍した。
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