天蘭線
概要
中華人民共和国が1949年に成立した当時は、東西の鉄道幹線である隴海線の西端は天水駅であったが、1950年には天水線(天水 - 蘭州間348 km)の建設を始め、1952年には完成している。この期間南満洲鉄道などの鉄道関係日本人300人(家族を入れると900人)も鉄道建設に留用された[1][2]。
本路線の敷設には多大な困難が伴い、なかでも宝鶏 - 蘭州間は秦嶺山脈の六盤山を貫き、渭河峡谷の北岸にそって敷設され、地質、地形共に複雑で建設された鉄橋、トンネルは多い。当線の開通は中国西部地区の開発に対し重要な幕を開いた。
脚注
- http://www.spc.jst.go.jp/experiences/exchange/exchange_1408.html 天水会について―中国の天蘭線建設と日本帰国後の活動―]
- 天蘭鉄路建設に携わった日本人技術者は、食料にも特別待遇を供与した (中国語)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.