大部強頸

強頸直(こわくび の あたい、? - 仁徳天皇11年か)は、古墳時代の人物。『日本書紀』では武蔵人強頸とだけ記される。

 
凡例
強頸直
時代 古墳時代
生誕 不明
死没 仁徳天皇11年か
主君 仁徳天皇
氏族 武蔵国造
父母 不明[注釈 1]
兄弟 [注釈 2]

仁徳天皇即位11年10月紀によると、天皇が茨田堤を築かせた際、二か所だけ脆くすぐに崩れてしまう箇所があったとされる。その時、神が天皇の夢に現れて「武蔵人の強頸と河内人の茨田連衫子の二人を河伯に祭れば、必ずや塞ぐことができるだろう」と教えた。天皇は教えに従って二人を探し出し河伯に祭った。強頸は泣き悲しんで水に没して死んだとされる。一方、衫子はその才智によって生き長らえ、人身御供とならずに堤は完成した。それ故に、時の人は破断した箇所のことを強頸断間・衫子断間と呼んだとされる。

大阪府大阪市旭区千林一丁目には強頸絶間跡のパネルが設置されている。また、大正5年に作られた強頸絶間の石碑が存在するが、現在は千林二丁目の個人邸内にあり一般公開されていない[1]

系譜

日本書紀』では武蔵人とだけ記し、具体的な氏姓については触れられていない[注釈 3]

脚注

注釈

  1. 父を八背直とする系図がある
  2. 兄弟に牛頸直がいるとする系図がある
  3. 无邪志国造の系図史料[2]では无邪志国造宇那毘足尼の子・八背直が父とされる。八背直は応神朝膳大伴部となって朝廷に仕えたため大部直姓を負ったとされる[2]

出典

  1. 大阪に関するよくある質問 強頸絶間(こわくびのたえま)について」『おおさか資料室』、大阪市立図書館公式ホームページ。
  2. 柴田常恵、稲村坦元 編 『埼玉叢書 第3巻』(三明社、1929年)内「武州一宮氷川神社書上」内「西角井從五位物部忠正家系」

関連項目

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