大谷古墳 (和歌山市)
大谷古墳(おおたにこふん)は、和歌山県和歌山市大谷にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
大谷古墳 | |
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墳丘(左に前方部、右奥に後円部) | |
所在地 | 和歌山県和歌山市大谷 |
位置 | 北緯34度15分42.5秒 東経135度10分34.5秒 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長67m、高さ6~10m |
出土品 |
素文鏡・ガラス勾玉 鉄衝角付冑・馬冑 円筒埴輪 |
築造時期 | 5世紀後期~6世紀前期 |
被葬者 | 紀氏 |
史跡 | 1978年(昭和53年)国指定 |
有形文化財 | 出土品(国の重要文化財) |
地図 |
大谷古墳 |
概要
紀ノ川河口地帯右岸、和泉山脈の南側山麓に築造され、前方部を南西に向ける。
発掘調査は、和歌山市教育委員会が京都大学研究室に委嘱し、1957年~1958年にかけて行われた。1978年11月5日、国の史跡に指定された。主体部出土遺物は、1982年6月5日、重要文化財に一括指定された。
埋葬施設
後円部から阿蘇山の凝灰岩製の組合せ式家形石棺が出土している。石棺は、底石、4枚の側石、2枚繋ぎの蓋石で出来ている。蓋石は、屋根形をしており、2.96m×1.6mの大きさである。両側に6個の環状縄突起をつくってある。
被葬者
20歳から30歳くらいの人骨が出土している。紀氏一族の武将の奥津城(おくつき)と推定されている。紀ノ川下流域における5~6世紀の首長の墳墓は、左岸にある岩橋千塚古墳群であると考えられているので、本古墳の被葬者は別の首長と考えられる[1]。
副葬品
大陸文化との関係が注目される[1]。
- 石棺内出土品
- 石棺外出土品
- 馬冑(ばちゅう)頬当て1頭 - 数枚の鉄板を鋲留めし、半筒形の面覆部、庇、頬当て。完成品出土は、日本唯一。(将軍山古墳で一部が出土)
- その他
- 円筒埴輪 - 後円部の後方に並べられていた。発掘調査で39個出土したが、それ以前に7個採集されていた。ほとんどが、赤褐色の円筒埴輪である。
- 石棺 - 後円部に竪穴式石室を設け、屋根形の蓋をもつ組合式石棺
- 鉄刀・鉄矛(国の重要文化財)
和歌山市立博物館蔵、大阪歴史博物館企画展示時に撮影。 - 馬冑(複製)
東京国立博物館展示。
文化財
国の史跡
- 大谷古墳 - 1978年(昭和53年)11月15日指定[3]。
脚注
- (吉田(1991) 96ページ)
- 紀伊大谷古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 大谷古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
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