大祖国戦争
大祖国戦争(だいそこくせんそう、ロシア語: Великая Отечественная войнаは、ロシアをはじめとする旧ソビエト連邦諸国のいくつかで使われる用語。第二次世界大戦のうち、ソビエト連邦がナチス・ドイツおよびその同盟国と戦った1941年6月22日から1945年5月9日までの戦いを指す。旧ソ連諸国の外では、この用語は一般的に使われることはなく、東部戦線(Eastern Front)、独ソ戦などの用語が使われている。この戦闘の詳細については「独ソ戦」を参照のこと。
範囲
「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」とでは指す範囲が異なっている。「大祖国戦争」は、ドイツをはじめとするヨーロッパの枢軸国諸国軍とソビエト連邦との間の戦いであり、ソビエト連邦と日本との戦い(満洲侵攻)や、ドイツと西欧・英米諸国との戦い(西部戦線)は含まれない。
概要
「大祖国戦争」という用語は、1941年6月22日のドイツの対ソ攻撃(バルバロッサ作戦)開始の直後に登場した。1812年にロシア帝国へ侵攻したフランス帝国のナポレオン1世をロシアが打ち破った戦いは、ロシアでは「祖国戦争」と称される。「祖国戦争」はもとは外征とは異なる自国内での防衛の戦いを指し、やがて「祖国での戦い」から「祖国のための戦い」へも適用されるようになった。第一次世界大戦でも「祖国戦争」という呼び方が使われていた[1]。ソ連当局はこれをなぞらえた呼称でナチス・ドイツとの戦争を呼ぶことで、戦いにあたってロシア・ナショナリズムによって国民を鼓舞しようとした。ドイツ軍の侵攻直後の「プラウダ」紙には、「ソビエト人民の大祖国戦争」(Великая отечественная война советского народа)と題された長い記事が掲載されている[1]。1942年5月20日には、大祖国戦争において英雄的な行為を見せた兵士やパルチザンらに対して贈られる「祖国戦争勲章」(Орден Отечественной войны, Order of the Patriotic War)が制定された。
ソ連時代の辞書学においては、「大祖国戦争」とはソビエトの共産主義とドイツのナチズム(ファシズム)という二つのイデオロギーの間の闘争であり、最終的にソビエトの共産主義システムがファシズムに打ち勝ってその優位性を示したとされる[2]。
主な人物
- ヨシフ・スターリン(ソビエト連邦大元帥)
- ヴャチェスラフ・モロトフ(ソ連特命全権大使)
- イワン・コーネフ(ソ連邦元帥)
- コンスタンチン・ロコソフスキー(ソ連邦元帥)
- ボリス・シャポシニコフ(ソ連邦元帥)
- ワシーリー・チュイコフ(ソ連邦元帥)
- アレクサンドル・ヴァシレフスキー(ソ連邦元帥)
- セミョーン・ブジョーンヌイ(ソ連邦元帥)
- クリメント・ヴォロシーロフ(ソ連邦元帥)
- セミョーン・チモシェンコ(ソ連邦元帥)
- レオニード・ゴヴォロフ(ソ連邦元帥)
- ロディオン・マリノフスキー(ソ連邦元帥)
- フョードル・トルブーヒン(ソ連邦元帥)
- グリゴリー・クリーク(ソ連邦元帥)
- ラヴレンチー・ベリヤ(ソ連邦元帥兼内務人民委員)
- イワン・イサコフ(海軍元帥)
- ニコライ・ブルガーニン(上級大将)
- イワン・チェルニャホフスキー(上級大将)
- アレクセイ・アントーノフ(上級大将)
- レフ・メフリス(大将)
- アファナシー・ベロボロドフ(大将)
- マルキアン・ポポフ(大将)
- アンドレイ・ウラソフ(中将)
- アレクセイ・クズネツォフ(中将)
- ニキータ・フルシチョフ(中将兼政治委員)
- レオニード・ブレジネフ(少将兼政治委員)
- ハジ・アスラノフ(少将)
- フョードル・トルーヒン(少将)
- イワン・エレメンコ(空軍少将)
- コンスタンティン・クザコフ(大佐)
- グリゴリー・チェプルノフ(大佐)
- ヴァシーリー・ツカノフ(大佐)
- イェフィム・フォミン(連隊委員)
- イワン・ラチコフ(海軍大佐)
- ヴァレンティナ・グリゾドゥボワ(空軍大佐)
- ヴァシーリー・スターリン(空軍大佐)
- ガリィ・アディルベコフ(親衛中佐)
- アレクセイ・マズレンコ(海軍親衛中佐)
- ユリウス・ヒブラー(中佐)
- アメト=ハン・スルタン(空軍中佐)
- ニコライ・ヴラソフ(空軍中佐)
- エヴドキヤ・ベルシャンスカヤ(空軍中佐)
- アレクサンドル・ザイツェフ(空軍中佐)
- テイフク・アブドゥル(親衛少佐)
- ニコライ・グライエフ(空軍少佐)
- イワン・コジェドゥープ(空軍少佐)
- ツェーザリ・クニコフ(海軍少佐)
- ミハイル・グレシーロフ(3等大尉)
- コンスタンティン・サモヒン(親衛大尉)
- イゴール・カベロフ(海軍親衛大尉)
- ミクローシュ・スタインメッツ(大尉兼軍使)
- イワン・トゥルケニチ(大尉兼パルチザン)
- アレクサンドル・ミン(大尉)
- ピョートル・ソクル(大尉)
- イワン・ズバチョフ(大尉)
- アレクサンドル・フヴァン(大尉)
- イリヤ・オスタペンコ(大尉)
- ヴァシリ・ザイツェフ(海軍大尉)
- ヴァシーリー・キスリャコフ(海軍大尉)
- セルゲイ・クルツェンコフ(空軍大尉)
- レオニード・エルキン(海軍大尉)
- ドミトリー・ラヴリネンコ(親衛上級中尉)
- アレクサンドル・コスモデミヤンスキー(親衛上級中尉)
- ルフィーナ・ガシェワ(空軍親衛上級中尉)
- ユーリー・コーセンコ(空軍親衛上級中尉)
- ヴァシル・ブイコフ(上級中尉)
- グリゴリー・チュフライ(上級中尉)
- ゲオルギー・エフスタフィエフ(上級中尉)
- ゲンナジー・ガバイドゥリン(上級中尉)
- ゲオルギー・クルバトフ(海軍上級中尉)
- ピョートル・イェレメイェフ(空軍上級中尉)
- ミハイル・スミルスキー(空軍上級中尉)
- ヴァルデマール・シャランディン(親衛中尉)
- ヴィクトル・ブダラーギン(海軍親衛中尉)
- ヴァディム・エフグラフォフ(海軍親衛中尉)
- 毛岸英(中尉)
- マンスール・アブドゥリン(中尉)
- ウラジーミル・ゲルファント(中尉)
- アレクサンドル・ペチェルスキー(中尉)
- アクバル・アガエフ(中尉)
- イワン・ブチーリン(中尉)
- アレクセイ・エリョーメンコ(下級政治委員)
- ヴァシーリー・コチェトコフ(親衛少尉)
- ピョートル・カシニコフ(親衛少尉)
- アレクサンドル・ゴルデーエフ(曹長)
- イワン・イワノフ(曹長)
- ヤーコフ・グレーヴィチ(曹長)
- ニーナ・クラギーナ(上級軍曹)
- ハキム・ハサノフ(上級軍曹)
- ゲンナジー・ヴェリチコ(上級軍曹)
- イワン・カトルジニ(海軍上級軍曹)
- アファナシー・アンティピン(上級軍曹)
- ウラジーミル・ヴァシルチコフ(空軍上級軍曹)
- ドミトリー・チェプソフ(親衛軍曹)
- ミハイル・エゴロフ(軍曹)
- フョードル・アフラプコフ(軍曹)
- ジョセフ・ベイル(軍曹)
- ニコライ・ヴァルラモフ(軍曹)
- イワン・クズネツォフ(軍曹)
- イワン・バシキーロフ(軍曹)
- ドミトリー・ジムフロムスキー(軍曹)
- ボリス・ラストロポフ(下級軍曹)
- アレクセイ・エリザロフ(二等兵曹)
- ミハイル・アブロシモフ(親衛伍長)
- ニコライ・バラノフ(上級水兵)
- イリヤ・カプルノフ(親衛赤軍兵士)
- ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ(赤軍兵士)
- アレクサンドル・マトローソフ(赤軍兵士)
- セミョーン・ヒトラー(赤軍兵士)
- ニコライ・アヴェリン(赤軍兵士)
- ジョン・デミャニュク(赤軍兵士)
- ドミトリー・シュコンダ(赤軍兵士)
- ヤーコフ・シュクロフ(赤軍兵士)
- ドミトリー・オルグツォフ(海軍水兵兼パルチザン)
- ミハイル・パニカハ(海軍水兵)
- ヴァディム・ストレルチェンコ(人民民兵)
- ヴィクトル・トレチャケヴィチ(パルチザン)
- オレグ・コシェヴォイ(パルチザン)
- ウリアナ・グロモヴァ(パルチザン)
- イワン・ゼムヌホフ(パルチザン)
- セルゲイ・チェレーニン(パルチザン)
- リュボフ・シェフツォワ(パルチザン)
- ニコライ・ミロノフ(パルチザン)
- パーヴェル・パラグタ(パルチザン)
- リディア・アンドロソワ(パルチザン)
- ユーリー・ヴィセノフスキー(パルチザン)
- ミハイル・ゲベレフ(パルチザン)
- アレクサンドル・チェカリン(パルチザン)
- ヤーコフ・ゴルディエンコ(パルチザン)
- アドルフ・ヴォイツェホフスキー(パルチザン)
- イワン・カプレンコフ(パルチザン)
- アンナ・リシツィナ(パルチザン)
- イサイ・カジネッツ(パルチザン)
勲章
- 1941年-1945年大祖国戦争における対ドイツ戦勝記章。ロシア帝国・ロシア連邦時代の聖ゲオルギー勲章と同じ、黒とオレンジの縞のリボン(聖ゲオルギーのリボン)を用いている。このリボンは21世紀に入ってから大祖国戦争における勝利のシンボルとしてアウェアネス・リボンなどに使用され、ロシアの愛国心の象徴となった。
脚注
注釈
出典
- The dictionary of modern citations and catch phrases, by Konstantin Dushenko, 2006. (ロシア語)
- “Genocide's Ghosts”, TIME Magazine, January 16, 2008.