坂稲荷神社
坂稲荷神社(さかいなりじんじゃ)は、埼玉県所沢市御幸町にある神社。坂稲荷とも称する[2][3][4][5]。宗教法人ではない。かつて江戸道と呼ばれた所沢銀座通り[5](埼玉県道6号川越所沢線)沿いにある。
坂稲荷神社 | |
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所在地 | 埼玉県所沢市御幸町1-22[1] |
位置 | 北緯35度47分27秒 東経139度28分10秒 |
創建 | 不詳 |
別名 | 坂稲荷 |
歴史
創建年不詳[1]。江戸時代、所沢宿の下宿の商人に信仰された[6]。所沢は寛永16年(1639年)には市が立ち、最初は月3回の三斎市が開催され、近世中期には月6回の三・八の六斎市に拡大した[5]。「三・八の市」では当社を起点に上町まで通り沿いに店が立ち並んだ[6]。江戸期の遺物として、斎藤鶴磯の幟や三上文筌の社殿装飾絵が残る。安政4年(1857年)の「御神体銘文」には、「奉安鎭 安政四年二月 稲荷惣本宮大西下總守」とある[2]。慶応2年(1866年)の武州一揆の際には、所沢に乱入した一揆勢は当社の前で休んだ後、下安松村(現・所沢市下安松)と中富村(現・所沢市中富)の方向に分かれて退去した[7]。
当社は日吉町と御幸町の境だったが、後に御幸町に入った。戦前は日吉町の数軒で祀っていたが、戦後は日吉町内、後に日吉町・御幸町・東町の三町内で管理するようになった[3][8]。
かつて近くに料亭や置屋があり、芸者が座敷に出る前などに参拝したことから「足止めの稲荷」とも呼ばれた。また遊郭・赤線で働いていた女性は、目立たないようにするため、向かいの路地の東川に掛かる鳥居橋から拝んだという[9]。
境内
年中行事
例年3月中旬の日曜日に初午が行われている。昭和初期まで3月の初午の日に行われていたが、後に2月の初午の日に変更され、昭和30年代に寒さを理由として現在の日にちに変更された。重松流祭囃子保存会日東支部と御幸町支部が毎年交代で祭囃子を行っている。昭和初期には神楽が奉納され、奉公人の出替りの時期のため人出が多かった[15]。
脚注
- 所沢市教育委員会編集『所沢市史ダイジェスト版 ところざわ歴史物語』所沢市教育委員会、2006年、pp.190
- 所沢市史編さん委員会編『所沢市史 社寺』所沢市、1984年、pp.752
- 埼玉県神社庁神社調査団編 『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年、pp.235
- 所沢市教育委員会文化財保護課編集『所沢市石像遺物報告書1 富岡・所沢の石像物』所沢市教育委員会文化財保護課、2000年(所沢市立図書館所蔵)、pp.137-139
- 所沢市教育委員会編集『所沢市史ダイジェスト版 ところざわ歴史物語』所沢市教育委員会、2006年、pp.56-57
- 斎藤脩治『埼玉ふるさと散歩〈所沢市〉』さきたま出版会、1993年、pp.17
- 所沢市教育委員会『所沢史話』所沢市教育委員会、1979年、第2版、pp.159
- 越阪部三郎案内『所沢漫遊』所沢織物文化研究会、2012年(所沢市立図書館所蔵)、pp.83
- 越阪部三郎案内『所沢漫遊』所沢織物文化研究会、2012年、pp.84
- 所沢市教育委員会『所沢たてもの帖 所沢中心市街地歴史的建造物調査』所沢市教育委員会、2002年、pp.85
- 所沢市 (2015年2月18日). “斎藤鶴磯書坂稲荷神社幟”. 所沢市. 2017年3月閲覧。
- https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%B6%B4%E7%A3%AF-1076672
- 所沢市 (2015年2月18日). “斎藤鶴磯書坂稲荷神社幟”. 所沢市. 2017年3月閲覧。
- 所沢市 (2015年2月18日). “三上文筌筆 坂稲荷神社社殿装飾絵”. 所沢市. 2017年3月閲覧。
- 所沢市史編さん委員会編『所沢市史 民俗』所沢市、1989年、pp.252-253