地蔵院 (京都市西京区)
地蔵院(じぞういん)は、京都市西京区山田北ノ町にある臨済宗系の単立寺院。山号は衣笠(藤原)家良に由来する衣笠山(えりゅうざん)。 夢窓国師を開山とし、最澄作といわれる延命安産の地蔵菩薩が本尊。周囲を竹林で囲まれていることから竹の寺の通称で知られる[1]。
地蔵院 | |
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所在地 | 京都府京都市西京区山田北ノ町23 |
位置 | 北緯34度59分25.5秒 東経135度41分09.6秒 |
山号 | 衣笠山 |
院号 | 地藏院(地蔵院) |
宗派 | 臨済宗天龍寺派(天龍寺末) → 1968年から臨済宗系単立 |
寺格 | 勅願寺 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建年 |
応安元年(1368年) (衣笠内大臣衣笠(藤原)家良(1192 – 1264)の山荘の土地が起源) |
開山 |
碧潭周皎(宗鏡禅師) 夢窓疎石 |
開基 | 細川頼之 |
正式名 | 衣笠山地藏院 |
別称 | 竹の寺 |
文化財 |
千手観音坐像(重要文化財) 方丈、庭園(市指定文化財) |
公式サイト | 竹の寺 地蔵院 |
法人番号 | 3130005001754 |
歴史
この場所は、もともと衣笠内大臣といわれた歌人の藤原家良が山荘を営んでいたところで、寺は1368年(応安元年)、室町幕府管領を務めた武将の細川頼之が尼僧妙性から土地を買取り、寄進したことにによって創建された。細川頼之は碧潭周皎(へきたんしゅうこう、宗鏡禅師)に帰依して出家した。当寺の実質的な開山は碧潭周皎であるが、碧潭は法兄である夢窓疎石を勧請開山としている[2]。
南北朝時代には勅願寺となって寺運も興隆したが、応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた。 江戸時代までは境内にわずか2つの末寺が残っているだけだったが、1686年(貞享3年)方丈が復興し、寺観が整備された。江戸期には天龍寺に属した。
もとは臨済宗に属していたが、1968年(昭和43年)に独立して単立寺院となっている。
なお、一休宗純は6歳で出家するまで母と共にこの寺で過ごしたと伝えられており、2017年には「一休禅師母子像」が境内に建立されている[3]。
- 中門
- 境内
- 本堂
文化財
重要文化財
- 銅造千手観音坐像 - 鎌倉時代。像高27.9cmの小像。細川頼之の妻の念持仏であったと伝える。
参考文献
- 山折哲雄・槇野修 『京都の寺社505を歩く』 PHP新書
脚注
- “地蔵院の由緒”. 竹の寺 地蔵院. 2022年7月31日閲覧。
- 山折哲雄・槇野修 『京都の寺社505を歩く』 PHP新書
- “一休さん「ははうえさま」との像建立 京都、幼少期過ごした寺”. 京都新聞. (2017年2月21日) 2017年2月24日閲覧。
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