土居宗珊
略歴
一条兼定が伊予国の西園寺氏と戦闘になった時、長宗我部元親の援軍を受けて、西園寺氏を破っている[1]。
その後、兼定が放蕩生活に入ったので、これを憂いて再三諫言したが、ついに兼定の怒りに触れて手打ちにされたとされる[1]。
参考文献
- 中村町役場編集『中村町史』(1950年)
脚注
- 中村町役場編集『中村町史』(1950年)235頁
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