荒木町 (新宿区)
荒木町(あらきちょう)は、東京都新宿区の町名。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示未実施。郵便番号は160-0007[2]。
荒木町 | |
---|---|
杉大門通り | |
荒木町 荒木町の位置 | |
北緯35度41分23.49秒 東経139度43分24.56秒 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 新宿区 |
地域 | 四谷地域 |
人口 | |
• 合計 | 2,556人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
160-0007[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
地理
新宿区の南東部に位置する。北部は住吉町と片町に、東部は津の守坂通りに接し、これを境に四谷坂町と四谷三栄町に接する。南部は四谷三丁目に接する。西部は舟町に接する。町域中央部の荒木マンション裏にある池を最底部とした摺鉢状の地形である。かつての花街の面影を残しているが、高層建造物なども見られる。
歴史
荒木町一帯は、江戸時代には美濃国高須藩藩主・松平義行の屋敷があったところであった。荒木町北辺に接している津の守坂通りも、義行(摂津守)の名が由来となっている。
この屋敷には滝を伴った大きな池があった。この池で徳川家康(義行という説もある)が乗馬用の策(ムチ)を洗ったことから「策の池」と呼ばれた。明治時代には屋敷が退き池や庭園が一般にも知られるようになり、荒木町一帯は東京近郊でも名の知られた景勝地となり料理屋が軒を連ね芸者らが行き交う風情ある花街となった。最盛期を迎えたのが関東大震災後で他の花街が被災し客が荒木町に流れ、料理屋13軒、待合63軒、置屋86軒、芸妓252名であった[4]。だが戦争により花街の営業が縮小され、昭和20年(1945年)、空襲で壊滅、戦後に復興するも昭和40年代(1966年-1975年)に衰退、昭和50年代末(1980年代前半)に終焉した[5]。町域内には今でも車力門通りや杉大門通りの通り沿いや路地裏などに各種飲食店が散見され、かつての花街の風情を残した部分を見ることができる。また「策の池」も規模はかなり縮小したが、現在でも津の守弁財天のところに残っている。昭和30年代の雰囲気を色濃く残した町として訪れる人は多い。
交通
施設
- 荒木公園
- 津の守弁財天
- 金丸稲荷
ギャラリー
- 金丸稲荷神社
- 車力門通り
- 津の守弁財天
脚注
- “住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2019年12月1日). 2019年12月2日閲覧。
- “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
- 松川二郎 『全国花街めぐり』1929年
- 『東京 花街 粋な町』p.177
- “通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.