吾嬬神社
概要
創建年代は不明である。日本武尊の妃弟橘媛が自ら生贄となって嵐を鎮めた際、岸に流れ着いた遺品を祀ったのが起源とされている[1]。
1199年(正治元年)、北条泰時によって社殿が造営されている[1]。
かつては、「吾嬬の森連理の樟(あずまのもりれんりのくす)」と呼ばれるクスノキがあった。歌川広重の『名所江戸百景』の題材になる程の有名な木であったが、現在は枯れてしまい、根元だけが保存されている[1][2]。
交通アクセス
- 東あずま駅より徒歩7分。
参考文献
- 小島惟孝 著『墨田区史跡散歩 (東京史跡ガイド7)』学生社、1993年
関連文献
- 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 吾嬬権現社」『江戸名所図会』 4巻、有朋堂書店、1927年、134-141頁。NDLJP:1174161/72。
関連項目
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