名和青朗
経歴
1950年、牧野英二[注釈 1]が創刊した『別冊モダン日本』の編集者となる。他の編集者には吉行淳之介がいた。翌年13号まで発刊したのち、牧野が出資者と対立して廃刊となる。その後、石坂幸男によって設立された三世社で、牧野・吉行・名和の三人を中心として1952年2月から月刊誌「読切倶楽部」を創刊する。この「読切倶楽部」では名和左膳の筆名で主に漫才を執筆している[注釈 2]。
その後ラジオ番組の脚本を執筆するようになり、親しかった江戸家猫八・三遊亭小金馬・一龍斎貞鳳を誘ってNHKに売り込み、1955年秋からラジオの公開番組「お笑い三人組」が開始された。途中からテレビ放映されるようになり、1966年3月に終了するまで10年以上続く長寿番組となった[3]。他に「蝶々のしゃぼん玉人生」「セールスマン水滸伝」「やじきた志ん幹線」「なんでも110番」など数多くのコメディドラマを執筆。
2006年6月9日にNHK衛星第2で放映された「週刊お宝TV」では「お笑い三人組」を取り上げ、妻の津久井貴久子が出演した[4]。
テレビ脚本
テレビ脚本については「テレビドラマデータベース」に「名和青朗」と入れて検索した結果を元にしている。
テレビ脚本・単発
- 天才児現わる(NHK、1954年7月2日、番組名「お好み風流亭」)
- 許婚上京す(NHK、1954年9月3日、番組名「お好み風流亭」)
- 嘘つき病院(NHK、1954年11月15日、番組名「お好み風流亭」)
- 押売御無用(NHK、1955年7月27日)
- みんな揃っておめでとう―東京産経ホール―(NHK、1958年1月3日、番組名「新年子供大会」)
- ノンビリ先生とセッカチ先生(NHK、1958年5月5日)
- お笑い曽我物語(NHK、1959年1月1日)
- 蝶々のしゃぼん玉人生 四つの恋の物語(NHK、1960年1月1日)[8]
- 俺はラッキーだ!(フジテレビ、1960年1月1日、番組名「初笑いバラエティショウ」)
- 五人の若さま(NHK、1960年5月5日)
- 初笑い酔虎伝(NHK、1962年1月2日)
- 1/5の幸福(日本テレビ、1964年2月1日)
- 禁酒宣言(日本テレビ、1964年12月21日、番組名「夫婦百景」第346回)
- 初夢かついで東海道(NHK、1965年1月1日)
- この忙しいのに…(NHK、1965年12月19日、番組名「家庭劇場」第36回)
- ぽてとふらい(日本テレビ、1966年5月31日、番組名「夫婦百景」第358回)
- 勢ぞろい清水港(日本テレビ、1966年、2話を担当?)
創作落語
作詞
その他・漫画原作など
脚注
注釈
- 作家牧野信一の弟。
- 読切倶楽部 - 国立国会図書館デジタルコレクションによれば、新作漫才として、1952年6月号「身上珍相談」、8月号「ハラハラ事件」、9月号「三ビン時代」、10月号「僕の劔豪傳」、1953年1月号「おめでた狂」、2月号「僕の初夢」、3月号「弱つた話」などが掲載されている。
- ダイハツ・ミゼットのCM曲。
- この曲を元に渥美清の初主演映画「あいつばかりが何故もてる」が企画された[9]。
出典
- 名和 青朗 1915-1979 WorldCat Identities(2020年9月7日閲覧)
- 名和青朗 - KYODO NEWS IMAGELINK(2021年6月15日閲覧)
- 『テレビドラマ全史 1953-1994』東京ニュース通信社、1994年、pp.30-31
- 週刊お宝TV 「お笑い三人組」 - 番組表検索結果詳細 - NHK
- お笑い三人組:NHKアーカイブス
- あっぱれ蝶助 無茶修業:テレビドラマデータベース
- いかすぜ珍商売:テレビドラマデータベース
- 蝶々のしゃぼん玉人生 四つの恋の物語:テレビドラマデータベース
- あいつばかりが何故もてる(DVD) | 松竹DVD倶楽部(2021年6月15日閲覧)
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