吉川千法師

吉川 千法師(きっかわ せんほうし)は、戦国時代の人物。安芸国国人吉川興経嫡男

 
凡例
吉川千法師
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文19年9月27日1550年11月5日
墓所 広島県広島市安佐北区上深川町
氏族 吉川氏
父母 父:吉川興経 母:宮庄経友
養父:吉川元春

生涯

父である興経の統治は吉川家中に混乱を引き起こした。そのため、千法師がいるにもかかわらず、天文16年(1547年)7月に一門の経世らの要請によって、毛利氏より元春が興経の養子として送り込まれた。この養子縁組の際に千法師は元春の養子となり、相続権を受け継いだとも言われている。

しかし天文19年(1550年)、元春の父の毛利元就は興経を強制的に隠居させ、元春に家督を継がせて新たな吉川氏当主とした。千法師は父母と共に安芸布川(広島市安佐北区上深川町)に幽閉された。

幽閉後も興経の行状についての噂が毛利領内に流れ、興経は弁解のために書状を送るが、元就は受け入れず、同年9月に監視役でもあった三入高松城熊谷信直天野隆重らに命じて隠居館を急襲させた。興経は殺害、千法師は乳母に連れられて逃亡するも、近くの山中で殺害されたと言われている。興経・千法師父子の死により藤姓吉川氏嫡流の血筋は断絶し、元春以降は毛利一門として存続していく。

生年は不詳だが、元服も行われた形跡も無いことから、死亡時に10歳前後だったと推測される。この推測から生年は天文8年(1539年)以降と思われる(元服は通常、数え年で12歳から16歳の間に行われる)。

参考資料

  • 歴史群像シリーズ『毛利元就』 学研
  • 歴史群像シリーズ『毛利戦記』 学研
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