厳羽
生涯と詩論
邵武軍邵武県の出身。早くから学問に志し、隣の光沢県で教授していた包恢の門下となる。同郷の厳仁・厳参とともに詩賦をもって知られ「邵武三厳」と称せられる[1]が、今は厳羽の詩集『滄浪集』だけが残っている。南宋が滅亡した後は隠居してどこにも出仕せず、各地を放浪したという。厳羽のことは『宋史』には記載がなく、『福建通志』にはある。
詩論として『滄浪詩話』1巻があり、詩の評論として重んぜられる。全体は詩弁・詩体・詩法・詩評・詩證の五門に分かれ、漢・魏から盛唐の時代に至るまでの詩、中唐の詩、晩唐の詩と三分し、盛唐の詩を最も高く評価した[2]。末尾には呉景僊の『論詩書』の梗概を記している。
訳注
- 『滄浪詩話』、市野沢寅雄、明徳出版社「中国古典新書」、1976年
脚注
- 池内宏、他監修『縮刷版 東洋歴史大辞典・下巻』臨川書店、1992年、466頁。
- 池内宏、他監修『縮刷版 東洋歴史大辞典・下巻』臨川書店、1992年、467頁。
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