千秋季忠
千秋 季忠(せんしゅう すえただ)は、戦国時代の武将・熱田神宮の大宮司。織田氏の家臣。尾張国羽豆崎城(幡豆崎城)主。
凡例 千秋 季忠 | |
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生誕 | 天文3年(1534年) |
死没 | 永禄3年5月19日(1560年6月12日) |
別名 | 通称:四郎 |
官位 | 加賀守 |
主君 | 織田信長 |
氏族 | 熱田大宮司千秋家(藤原南家藤原氏) |
父母 | 父:千秋季光 |
兄弟 | 季直、季広、季忠 |
妻 | 熱田浅井氏娘・たあ |
子 | 季信 |
生涯
天文3年(1534年)、熱田神宮の大宮司・千秋季光の子として誕生。千秋家は藤原季範の末裔で、長年にわたって尾張を中心に美濃・三河に社領を広げていくうちに武士化し、16世紀頃の前半頃に新興勢力だった織田弾正忠家と結びついた[1]。
父・季光は武士として織田信秀に仕えていたが、天文13年(1544年)9月、加納口の戦いで戦死し[2]、跡を継いだ長男の季直も間もなく夭折したため、弟の季忠が大宮司職と家督を継いだ[3]。
永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いに参加。佐々政次と共に鷲津砦・丸根砦を落とした今川義元軍と対峙していたが、織田信長が善照寺砦に到着したのを見て義元本隊に攻撃を仕掛け、政次ともども討ち死にを遂げた[4]。この千秋・佐々の行動は、信長が奇襲を成功させるために命じた陽動作戦とされているが、藤本正行は単なる抜け駆けと解釈している[5]。
季忠が戦死したとき、子の季信は母の胎内にあり、大宮司職は叔父の季重が襲っていたという[6]。その後、季信は母の実家である浅井氏のもとで養育され、14歳になった天正2年(1574年)、信長に拝謁し、大宮司職と遺領となる野並村(現在の名古屋市天白区野並)を継いだ。
逸話
登場作品
- 桶狭間 OKEHAZAMA(2021年、フジテレビ) - 演:堀井新太
- 宮下英樹『センゴク外伝 桶狭間戦記』
脚注
参考文献
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