北斗遺跡
概要
標高は20メートル前後で、範囲は東西2500メートル・南北500メートル。縄文・続縄文時代の浅い円形・楕円形竪穴建物102軒と、擦文時代の四角形竪穴建物232軒が窪んだまま残されている。
1952年(昭和27年)に簡易軌道敷設に伴う土取り工事によって発見された。その後1970年(昭和45年)には釧路市教育委員会が分布調査し、窪んだ竪穴建物跡386軒が見つかった[2]。
これまでに旧石器時代の火を焚いた跡、縄文時代の建物跡・墓や小貝塚、擦文時代の建物跡などが確認され、特に擦文時代の鉄器、繊維遺物、はた織具の一部、栽培植物の種子などが確認されている[1]。さらには、1972年(昭和47年)から73年(昭和48年)にかけ、遺跡の地形測量と1部の試掘調査が行われると、長さ2.5キロメートルの範囲に、遺構密集地点が9箇所見つかっている。旧石器時代最終段階に属する細石刃文化から、縄文時代早期の東釧路下層様式、前期の綱文土器様式、中期の北筒様式、後期末から晩期初頭の土器、続縄文土器及び擦文式土器の時期など、あらゆる時代の遺構・遺物が見つかっており、その中には近世アイヌの遺物もある[3]。釧路市北斗には現在、「史跡北斗遺跡展示館」が存在する。
釧路湿原西側(釧路市湿原展望台の南側)にあり、釧路湿原を望む高台に縄文・続縄文時代のものとともに擦文時代の建物跡が検出されており、そのうち6棟が復元されている。また、釧路湿原展望台へ至る道道53号から少々入ったところに史跡北斗遺跡展示館があり、建物の復元模型とともに続縄文・擦文時代の解説や出土品の展示があるほか、ここから木道伝いに復元建物(「擦文の村」)へ行くことができる。復元建物は、湿原遊歩道(鶴井軌道跡)からも近く、また釧路市湿原展望台とも木道で結ばれている。
脚注
- “釧路市北斗遺跡ふるさと歴史の広場|釧路市立博物館”. www.city.kushiro.lg.jp. 2020年12月3日閲覧。
- “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2020年12月3日閲覧。
- “北斗遺跡 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2020年12月3日閲覧。