北斗遺跡

北斗遺跡(ほくといせき)は、北海道釧路市北斗にある、旧石器時代から縄文続縄文時代を経て擦文時代に至る複合遺跡[1]1977年(昭和52年)7月14日に国の史跡に指定された。

北斗遺跡の位置(北海道内)
北斗遺跡
北斗遺跡
遺跡位置

史跡北斗遺跡の復元建物。
史跡北斗遺跡展示館
史跡北斗遺跡展示館の復元建物。
史跡北斗遺跡展示館の復元建物の内部。

概要

標高は20メートル前後で、範囲は東西2500メートル・南北500メートル。縄文・続縄文時代の浅い円形・楕円形竪穴建物102軒と、擦文時代の四角形竪穴建物232軒が窪んだまま残されている。

1952年(昭和27年)に簡易軌道敷設に伴う土取り工事によって発見された。その後1970年(昭和45年)には釧路市教育委員会が分布調査し、窪んだ竪穴建物跡386軒が見つかった[2]

これまでに旧石器時代の火を焚いた跡、縄文時代の建物跡・墓や小貝塚、擦文時代の建物跡などが確認され、特に擦文時代の鉄器、繊維遺物、はた織具の一部、栽培植物の種子などが確認されている[1]。さらには、1972年(昭和47年)から73年(昭和48年)にかけ、遺跡の地形測量と1部の試掘調査が行われると、長さ2.5キロメートルの範囲に、遺構密集地点が9箇所見つかっている。旧石器時代最終段階に属する細石刃文化から、縄文時代早期の東釧路下層様式、前期の綱文土器様式、中期の北筒様式、後期末から晩期初頭の土器、続縄文土器及び擦文式土器の時期など、あらゆる時代の遺構遺物が見つかっており、その中には近世アイヌの遺物もある[3]。釧路市北斗には現在、「史跡北斗遺跡展示館」が存在する。

釧路湿原西側(釧路市湿原展望台の南側)にあり、釧路湿原を望む高台に縄文・続縄文時代のものとともに擦文時代の建物跡が検出されており、そのうち6棟が復元されている。また、釧路湿原展望台へ至る道道53号から少々入ったところに史跡北斗遺跡展示館があり、建物の復元模型とともに続縄文・擦文時代の解説や出土品の展示があるほか、ここから木道伝いに復元建物(「擦文の村」)へ行くことができる。復元建物は、湿原遊歩道(鶴井軌道跡)からも近く、また釧路市湿原展望台とも木道で結ばれている。

脚注

  1. 釧路市北斗遺跡ふるさと歴史の広場|釧路市立博物館”. www.city.kushiro.lg.jp. 2020年12月3日閲覧。
  2. 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2020年12月3日閲覧。
  3. 北斗遺跡 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2020年12月3日閲覧。
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