勝持寺

勝持寺(しょうじじ)は、京都市西京区大原野南春日町にある天台宗寺院山号は小塩山。本尊薬師如来花の寺(はなのてら)とも呼ばれ、紅葉の名所である。西国薬師四十九霊場第42番札所。大原野神社に隣接する。西行ゆかりの寺として知られる。

勝持寺

阿弥陀堂
所在地 京都市西京区大原野南春日町1194
位置 北緯34度57分38.5秒 東経135度39分6秒
山号 小塩山
院号 大原院(だいげんいん)
宗派 天台宗
本尊 薬師如来重要文化財
創建年 伝・天武天皇8年(679年
開基 伝・役行者
中興年 伝・延暦10年(791年
中興 伝・最澄
正式名 小塩山大原院勝持寺
歴史的・非略体)小鹽山大原院勝持寺
別称 花の寺
札所等 西国薬師四十九霊場第42番
通称寺の会(花の寺)
文化財 木造薬師如来坐像、木造薬師如来坐像(胎内仏)、木造金剛力士立像、大原野千句連歌懐紙(金銀泥下絵科紙)11帖(重要文化財)
公式サイト 天台宗 勝持寺 花の寺 公式ホームページ
法人番号 6130005001900
勝持寺の位置(京都市内)
勝持寺

歴史

勝持寺は京都の西南郊外の大原野に位置する。勝持寺は古くから桜の名所として知られるが、創建についてはあまり明らかでない。寺伝では天武天皇8年(679年)に天武天皇の勅によって役小角が創建したと伝えられる。その後延暦3年(784年)に大原野神社が創建されると、勝持寺は大原野神社の別当寺とされ、延暦10年(791年)に桓武天皇の勅により最澄が再興して小塩山大原寺と称したという。

承和5年(838年)に仁明天皇の勅によって塔頭49院が建立されたとも、仁寿年間(851年 - 854年)に千観によって再興されたともいう。

保延6年(1140年)10月、佐藤義清が当寺で出家し、西行となっている。

応仁の乱で仁王門を残して焼失するが、天正年間(1573年 - 1592年)に再建された。江戸時代には将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の帰依を受けている。

明治時代になり神仏分離が行われると、当寺と大原野神社の関係も解消された。

境内

仁王門
冴野の沼
桜ヶ丘
  • 阿弥陀堂 - 本堂。
  • 瑠璃光殿 - 宝物館。飾られている醍醐天皇の勅額「勝持寺」は小野道風の筆で、延長5年(927年)のもの。
  • 書院(庫裏)
  • 十三重石塔
  • 東門(長屋門)
  • 不動堂
  • 石不動尊 - 空海が刻んだものだという。不動堂の裏にある洞窟にある。
  • 鏡石 - 西行が鏡の代わりに使ったとされる。
  • 瀬和井の泉 - 西行が髪を剃った後にこの泉で自らの出家した姿を見たという。
  • 鐘楼堂
  • 西行桜 - このの横に西行の庵があったという。現在の桜は3代目である。
  • 九重石塔
  • 庭園 - 池がある。
  • 桜ヶ丘
  • 冴野の沼 - 歌枕として知られる。
  • 山門(南門)
  • 仁王門 - 当寺最古の建造物。

文化財

重要文化財

  • 木造薬師如来坐像 - 当寺の本尊。像高85cm。鎌倉時代。左手に薬壺を持ち、右手をその上にかざすような珍しい印相を示す。
  • 木造薬師如来坐像 - 本尊の胎内より発見された胎内仏。像高9.1cmの小像だが、光背には七仏薬師と十二神将像を表す精緻な作である。平安時代前期。
  • 木造金剛力士立像 - 弘安8年(1285年)、法眼慶秀と法橋湛□(1字不明、康か)の作の銘がある。
  • 大原野千句連歌懐紙(金銀泥下絵科紙)11帖 元亀二年二月細川藤孝筆(1571年

前後の札所

西国薬師四十九霊場
41 正法寺 - 42 勝持寺 - 43 神蔵寺
通称寺の会(花の寺)

所在地

  • 京都市西京区大原野南春日町1194

周辺

外部リンク

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