先行研究

先行研究(せんこうけんきゅう)は、学術論文の執筆において、当該領域で、自分の研究よりも先んじて発表された研究を指す。学術論文では、先行研究を自分の研究の参考にし、その結果とそこから生じた判断をふまえた上で、それに独自の見解を接木し、あるいはそれを批判して、自己の学説として発表することが求められる。

意義

科学の分野でそれなりの研究を行おうという場合、まず先行研究を調べることが必要である。やってみようと思うことが、すでに行われたもので内容に何ら変わりのないものであれば、研究それ自体に「意味がない」場合もある。

しかし、それ以上に重要なことは、「自分の行おうとする研究が、科学の流れの中においてどのような位置にあるのか」を知ることである。それを把握した上で、自分の得た結果について考察を行うならば、そこから得られる判断の位置づけもまた明らかになる。この一連の作業を「研究史の整理」と言う[1]

見つからなかった場合

それまで誰も着目しなかった領域については、先行研究も存在しないことになる。これは往々にして全く新しい展開を科学の世界に作る物となるが、その場合、その論文を裏付ける事実が他にはないことになる。先行研究なしで学術論文を発表した場合、筆者の思い込みの可能性など、研究テーマの正当性が問題にされることもあり得る。

もっとも、科学の分野において、全く先行研究のない研究論文はなかなか存在しない。これは、一つには科学の研究が技術の向上に基づいていることによる。実験操作にしても、例えば生物の細部の研究は、虫眼鏡から顕微鏡へ、という風に科学技術の進歩と結びついている。従って、新たな展開はそれ以前の技術による研究を土台として行われるものである。普通は全く新しい分野といっても、それまでのすべての分野と無関係に存在するものではないから、少なくとも参考文献は存在するのが普通である。

ただ、先行研究がなかなか見つからず、後になって発見される例もある。有名なのはメンデルの法則で、その発表の40年ほど後に、新発見として発表された後にすでに発表されたものであることが判明した。本来ならば彼の研究を先行研究として、それを超える結果を示すべき状況ではあったわけである。もっともこの場合にも、それ以外の多数の交配実験に関する研究は参考にされている[注 1]

もう少しややこしいのは、先行研究が別分野にあった場合である。例えば、生物個体数の増加を表すモデルであるロジスティック方程式は、生態学の分野では20世紀初頭にショウジョウバエなどの実験個体群の研究から導き出されたものであるが、後に19世紀ピエール=フランソワ・フェルフルストがすでに発表したものであることが判明した。これは、彼の研究が人口統計学という同じ現象を扱う別分野であったためである。

奈良大学文学部教授の村上紀夫(日本文化史)は、先行研究が見つからない原因の可能性として、次の4つを提示している。

  1. 過去に誰も気づいていない(扱ったことのない)研究テーマである可能性。
  2. 難解すぎる、または研究・分析に耐えうる一次資料に乏しく、研究が不可能なテーマである可能性。
  3. 既存の研究成果の参照や流用で、結果が大体解ってしまい研究しても意味のないテーマである可能性。
  4. 単に探し方に不備があり、先行研究を見付けられなかった(見落としていた)可能性。

この内、1.については先行研究がなくとも研究成果を上げやすく、その研究について先駆的な業績ともなりうるため非常運が良い事例であり、2.3.についても、後の資料増加や研究アプローチの仕方次第では研究成果に繋げられる可能性があるが、4.については研究史整理の失敗で、自身の研究が既に過去の誰かによってなされていたものである可能性が高く、もっとも悲惨な結果に繋がると言う[2]

見つける方法

先行研究を探すには、いくつかの方法がある[注 2]

論文からその参考文献を探す
ある分野の研究を行おうとする場合、少なくともその問題に関する文献や記述のある著作ぐらいは目にしているはずである。それが真っ当なものであれば、その巻末などに、それに関する参考文献が列記されているから、それを探し出してくる。そうして手に入れた論文にも参考文献が付いているから、さらに研究を遡ることが可能になる。あまりに広くて歴史の古い分野だと、すべてを遡るわけにはいかなくなるが、そういう流れの中で重要な鍵になる文献は拾い上げられるようになる。
検索用の雑誌から探す
どの分野においても、先行研究の探索は重要であるから、ある程度の規模を持つ分野であれば、そのような探索の手助けとなる雑誌が発行されている。それらは往々にして抄録・アブストラクトと呼ばれ、その分野に関する、過去のある期間ごとに発行された論文の題名・著者・雑誌名、内容の要約やキーワードなどが列記されており、自分の求める論文をそこから探すことが出来る。

問題

先行研究を知ることは、見方を変えると先入観、予断を持つことであり、そのために研究やその結果がゆがめられる可能性がある。

古くはファーブルが、先行研究を調べることに頼るのを再三にわたって戒めている。これは、彼の時代の昆虫学では習性に関するまともな研究がほとんどなかったため、役に立たない上に誤ったものが多かったという事情がある。パスツールカイコの病気の研究のための基礎知識を得るため、ファーブルの元を訪れたが、その際、パスツールがあまりにカイコに無知なことに驚くと同時に、そのような無垢の状態でこそ、新しい研究も可能なのだと誉めている。ただしファーブル自身は先行研究を軽視するあまりに、ある種のカメムシ卵塊を保護するという観察を否定する、といった失敗もしている。

脚注

注釈

  1. 実際には「彼らはメンデルの研究を知っていて無視したのだ」という説もあり、これについては科学史上のミステリーの一つになっている。
  2. ただし学問分野や使用言語によって異なる場合がある。

出典

  1. 村上 2019, pp. 68–70.
  2. 村上 2019, pp. 45–47.

参考文献

  • Becker, Howard「文献に怯える」『ベッカー先生の論文教室(小川芳範・訳)』慶應義塾大学出版会、2012年4月30日、199-220頁。ISBN 9784766419375。 NCID BB08994076
  • 村上, 紀夫「第3章 論文の集め方と読み方」『歴史学で卒業論文を書くために』創元社、2019年9月20日、31-79頁。ISBN 9784422800417。 NCID BB28929146

関連項目

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