僧伽跋摩

サンガヴァルマンसँघवर्मन्Saṃghavarman、生没年不詳)は、南朝宋訳経僧僧伽跋摩(そうぎゃばつま)と音写僧鎧(そうがい)とも音訳される。

生涯

天竺出身[1]。幼少の頃に出家して戒律を厳しく守った。元嘉10年(433年)に建康に渡来し、三蔵法師を号した。慧観の要請に応じて平陸寺に居住した。彭城王劉義康もその戒範を崇めた。元嘉11年(434年9月に『雑阿毘曇心論』14巻を、元嘉12年(435年1月に『薩婆多部毘尼摩得勒伽』10巻をそれぞれ訳出し、元嘉19年(442年)までに『分別業報略』1巻・『勧発諸王要偈』1巻・『請聖僧浴文』1巻もそれぞれ訳出した。その後は本国に帰ろうとしたが、周囲の懇願もあって思いとどまった。しかし、元嘉年間に西域商人の船に乗って帰国した。その後の消息は不明。

出典

  1. 滋賀 1986, p. 6

参考資料

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