佐藤タツエ

佐藤 タツエ(さとう タツエ、1933年昭和8年〉11月10日[2][3] - 2003年平成15年〉12月31日[4][5])は、日本アイヌ文化伝承者。かつて東京都に存在したアイヌ料理専門店「レラ・チセ」の元店長[1][5]。継父は同じくアイヌ文化伝承者の山本多助[5][6]

さとう タツエ
佐藤 タツエ
生誕 (1933-11-10) 1933年11月10日
北海道帯広市
死没 (2004-12-31) 2004年12月31日(71歳没)
茨城県美浦村
死因直腸癌
住居茨城県江戸崎町(死去時点)[1]
国籍日本の旗 日本
民族アイヌ
活動期間1973年 - 2003年
時代昭和 - 平成
団体東京ウタリ会、関東ウタリ会、レラの会
著名な実績アイヌ料理専門店「レラ・チセ」経営によるアイヌ文化の伝承
活動拠点東京都
肩書きレラの会 会長、レラ・チセ店長
配偶者山本多助(継父)
継父

経歴

北海道帯広市で、アイヌ民族として誕生した[2]。幼少時に父が死去し、母の再婚相手が山本多助であった[5][6]

離婚後に仕事を求めて[5]、1964年(昭和39年)に上京[1][2]。北海道には各地にあった生活館のような拠り所が関東にはなかったことで[5]、アイヌの権利回復を目的とし、東京周辺のアイヌたちと共に、1973年(昭和48年)に「東京ウタリ会」、1980年(昭和55年)に「関東ウタリ会」を結成した[7]。1983年(昭和58年)には、アイヌ文化の継承を目的とする「レラの会[8]」を結成して[2]、1991年(平成3年)から会長を務めた[9]

「食を通じて民族への理解を広げたい」との想いから、1994年(平成6年)5月、東京初となるアイヌ料理専門店「レラ・チセ」を早稲田に開店し[5]、店長として店を切り盛りした[5][10]。北海道直送の素材を生かしたメニューを提供すると共に、アイヌ語教室など民族文化継承の場としても活用された[11]

1999年(平成11年)に直腸癌を患い、店の経営が困難となった[5]。病身の最中にも2003年(平成15年)7月に、山本多助の没後10年を記念した『阿寒国立公園とアイヌの伝説』の復刻に尽力した[10]

タツエの歌をCDに収める計画が持ち上がったが、その寸前に入院を強いられた[5]。2004年(平成16年)12月31日、茨城県美浦村の病院で、直腸癌のため死去した[1]

レラの会の世話人である丹波二三夫によれば、幼少時からアイヌとして虐めを受けるなど苦労もあったが、虐めた相手を逆に追いかけていくような性格だったという[12]。自身も「戦中に朝鮮人の子供に馬鹿にされ、『アイヌ!』『朝鮮!』と罵り合って、取っ組み合いの喧嘩をした」と語っていた[13]。レラの会の会員女性たちからは「ゴッドママ」の愛称で親しまれていた[14]

脚注

  1. 共同通信社 2005, p. 531
  2. 山村 1993, p. 167
  3. レラの会 1997, pp. 58–59
  4. 「佐藤タツエさん死去」『朝日新聞朝日新聞社、2004年1月1日、東京地方版、35面。
  5. 明珍美紀「悼「レラの会」会長・佐藤タツエさん 12月31日死去・70歳」『毎日新聞毎日新聞社、2004年2月14日、東京朝刊、28面。
  6. レラの会 1997, pp. 68–69
  7. レラの会 1997, pp. 10–11
  8. レラの会 1997, p. 311
  9. レラの会 1997, pp. 14–15
  10. 「死亡 佐藤タツエさん(アイヌ料理店レラ・チセ店長、レラの会会長)」『北海道新聞北海道新聞社、2004年1月1日、全道朝刊、39面。
  11. アイヌ料理「レラ・チセ」閉店へ 文化発信、歴史15年」『朝日新聞』、2009年11月7日。2022年2月12日閲覧。オリジナルの2009年11月10日時点におけるアーカイブ。
  12. 山村 1993, p. 166
  13. レラの会 1997, p. 62
  14. 山口恭司「ひと94 佐藤タツエさん 今春、東京都内にアイヌ料理店を開く ゴッドママの夢 民族の多様性もっと理解を」『北海道新聞』、1994年1月11日、全道朝刊、3面。

参考文献

  • 山村基毅「食の自叙伝 佐藤タツエ」『マルコポーロ』第3巻第6号、文藝春秋、1993年6月1日、NCID AN10461492
  • レラの会『レラ・チセへの道 こうして東京にアイヌ料理店ができた』現代企画室、1997年5月6日。ISBN 978-4-7738-9704-3。
  • 『記者ハンドブック 新聞用字用語集』(第10版)共同通信社、2005年3月15日。ISBN 978-4-7641-0548-5。
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