伊那節
概要
発生は古く、木曽御嶽山の山容を謳った山岳信仰の歌が、伊那谷の馬方に歌い継がれ[1]、次第に宗教的色彩を失い、現在の伊那市を中心に座敷唄として歌われるようになった。明治41年(1908年)に長野市で開催された1府10県共進会に「おんたけ山節」として紹介され[2]、大正4年(1915年)に飯田の「南信新聞」が主体となった「伊那風景探勝会」が、天竜川下りの観光宣伝のため、「伊那節」の題名で新たに歌詞を募集し、「天竜下れば」や「桑の中から」が代表的な歌詞として知られるようになった[3]。大正15年(1926年)に伊那で「正調伊那節競技会」が開かれたことを契機に伊那節保存会が発足[3]。戦後、ラジオやテレビの普及によって、木曽節や小諸馬子唄、安曇節に並ぶ、信州を代表する民謡となった。
代表的な歌詞
天竜下れば しぶきにぬれる
持たせやりたや 檜笠
諏訪の湖水を 鏡にかけて
雪で化粧する お月さん
桑の中から 小唄がもれる
小唄聞きたや 顔みたや
わしが在所の 伊那路の春は
峰に白雪 里に花
東、仙丈 西、駒ヶ岳
間を流るる 天竜川
伊那は夕焼け 高遠は小焼け
明日は日和か 繭売ろか
わしが心と 御嶽山の
峰の氷は いつ解ける
脚注
- 「信州・ふるさとの歌」p.38
- 「信州・ふるさとの歌」p.39
- 「信州・ふるさとの歌」p.40
参考文献
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