伊藤文吉
系譜
初代・文吉
二代目・文吉
三代目・文吉
六代目・文吉
七代目・文吉
八代目・文吉
- 昭和2年(1927年)9月24日生まれ[2]。本名吉彦[1]。昭和25年(1950年)慶應義塾大学法学部を卒業、毎日新聞社に就職。昭和26年(1951年)音楽之友社入社(ちなみに同社の初代社長は同郷の目黒三策である)。昭和33年(1958年)9月、音楽之友社編集部を退社。北方文化博物館館長就任。昭和49年(1974年)日本博物館協会理事に就任。昭和53年(1978年)5月、文化財保護尽力と文化の発展功労で文化庁長官表彰。その他、数々の賞を受賞。平成20年(2008年)4月春の叙勲、旭日双光章受章。平成28年、従六位に叙される。
- 平成28年(2016年)10月25日、肝臓がんのため死去[1]。89歳没。葬儀は形式上は家族葬とはされたが、会場は博物館の大広間が用いられ、事実上通常の葬儀と変わらなかった。同年12月5日には偲ぶ会がホテルオークラ新潟で行われた。
- 八代目に子が無かったため、文吉の名は八代目で途絶えることとなった。
参考文献
- 『われら一族―現代の豪族―』(東京放送編 1969年 213-237頁)
関連
脚注
- 豪農伊藤邸物語
- 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.251
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