仙岩寺
仙巖寺(せんがんじ、ソナムサ)は、大韓民国全羅南道順天市にある仏教寺院。韓国仏教の第2勢力である太古宗の総本山である。また太古宗唯一の叢林で、太古叢林と呼ばれている。以前は曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第20教区本寺だった。
仙巖寺(海川寺⇒仙巖寺) | |
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所在地 | 全羅南道順天市昇州邑竹鶴里802 |
位置 | 北緯34度59分47.8秒 東経127度19分51.9秒 |
山号 | 清涼山 |
宗派 | 太古宗(天台宗⇒禅宗⇒曹渓宗⇒太古宗) |
寺格 |
太古宗総本山 太古宗太古叢林 朝鮮三十一本山(日本統治時代) |
創建年 | 529年(百済聖王7年) |
開基 | 阿道和尚 |
中興年 | 875年(新羅景文王15年) |
中興 | 道銑国師 |
正式名 | 仙巖寺 |
歴史
太古宗は、百済の時代の529年(聖王7年)に阿道和尚が海川寺を建立したことをもって、仙岩寺の創建としている[1]。
875年(新羅景文王15年)に道銑国師が現在の伽藍の位置に寺を重創して、 寺名を仙巖寺に改名した。
韓国天台宗の中興の祖といわれている大覚国師義天(1055年 - 1011年)が仙岩寺の大覚庵に主席しながら、仙岩寺を重創した。
李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に仙岩寺の名前はなく、廃寺になったようである。 世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際も、存続を許された36寺院の中に仙岩寺の名前はなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。
文禄・慶長の役のさい、鉄仏・宝塔・浮図・文殊殿・曹溪門・圊廁だけを残し、あとはすべて焼失した。その後の復旧は遅れ、1660年に敬俊・敬岑・文正によって、8年越しの重修が行われた。
1798年(純祖22年)に海鵬展翎など七殿が重創された。1823年(純祖23年)に本堂などが焼失。海鵬・訥庵・益宗らにより、翌年から重創を行った。現在の建物の大部分はこのとき建立されたものである。
韓国併合後の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。
脚注
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