付審判制度

付審判制度(ふしんぱんせいど)とは、日本における刑事訴訟手続の一つ。告訴又は告発した者が検察官による不起訴等処分を受けたり、特許申請をした者が特許庁の審査拒絶を受けたりし、これに納得できる理由がないという場合に、これを公務員職権濫用罪などであるとして裁判所に対し審判に付することを請求すること。準起訴手続(じゅんきそてつづき)ともいう。

概要

手続等の詳細は、刑事訴訟法262 - 269条及び刑事訴訟規則169 - 175条が規定する。

1922年の刑事訴訟法改正により、起訴便宜主義が採用されたが、当時は裁判所による予備審問制度があり、検察官する不起訴処分の範囲には制限があった。日本国憲法下の裁判法は予審制度を廃止した。現在の刑事訴訟においては、刑事訴訟法247条により、検察官のみが公訴の提起を行うという「起訴独占主義」がいまだ採られており法定起訴制度は設置されていないので、付審判制度は検察審査会制度とともに、起訴を実現するための数少ない方法の一つとされている。また、同法248条では、検察官は事情に応じて公訴を提起しないことができるという「起訴便宜主義」について規定しているが、付審判制度は検察審査会と並んで、これに対して抑制的な作用を営みうる制度であるといわれている[1]

付審判請求に対して裁判所が付審判決定をした場合は、対象たる公務員(又は元公務員)につき、公訴が提起されたものとみなされる。検察官役を裁判所から指名を受けた弁護士(指定弁護士)が担当する。

付審判請求を棄却する決定に対しては、通常抗告(刑事訴訟法419条)を申し立てることができ、特別抗告(刑事訴訟法433条)は許されない(最大決昭和28年12月22日刑集7巻13号2595頁)。付審判決定に対しては、刑事訴訟法420条1項の「訴訟手続に関し判決前にした決定」に準ずるものとして通常抗告は許されず[2]、また、特別抗告も許されない(最決昭和52年8月25日刑集31巻4号803頁)。

1949年以降、延べ約1万8000人の警察官刑務官など、公務員に対する付審判請求があったが、付審判が認められたのは24人(内訳は警察官21人、刑務官2人、裁判官1人)であり、判決結果は有罪9人(内訳は実刑1人、執行猶予付自由刑7人、罰金刑1人)、無罪14人、免訴1人である。

通常の検察官による起訴と比較して無罪率が高い理由として、立正大学法学部助教授で付審判制度を研究している新山達之は、検察官役を担当する指定弁護士が被告人に対する有罪立証の実務に不慣れであること、被告人が属する警察等が組織的に被害者の悪質さを強調するなどの無罪立証の証拠を提出してくること、裁判所が有罪について非常に高度な立証を求めてくることなどを挙げている[3]

過去に付審判決定がされた事件

  • 事件時の被告人の役職でソートすると在籍していた役職の所在地について北から都道府県順に再配列される。ソートキーはISO 3166-2:JPに準拠。
過去に付審判決定がされた事件
事件発生日不起訴処分日付審判決定日事件名事件時の被告人の役職結果
1944年7月10日1946年12月28日1951年6月29日えへつしよ/江別署特高事件0101北海道庁警察部警部補1958年5月27日に免訴確定
1952年6月30日1952年11月14日1952年11月14日もとこうちよう/元校長連行事件1801国警福井巡査部長1956年2月10日に禁錮5月執行猶予2年
1951年11月8日
1951年11月10日
1954年1月8日1955年4月20日なこやしけい/名古屋市警暴行事件2301名古屋市警警部補1959年8月27日に無罪確定
1952年12月8日1955年6月27日1956年8月27日はなまきしよ/花巻署事件0301国警岩手巡査部長1962年3月13日に禁錮8月執行猶予2年確定
1955年5月15日
1955年5月19日
1956年5月21日1956年10月18日ほんしようしよ/本庄署事件1101埼玉県警巡査1962年12月26日に禁錮3月確定
1961年10月15日1962年5月15日1963年5月27日ふちゆうけいむしよ/府中刑務所革手錠事件1301府中刑務所看守長1964年11月24日に無罪確定
1966年10月14日1967年12月27日1968年6月17日やくらそう/やぐら荘事件0401宮城県警巡査部長1974年4月1日に罰金1万円確定
1971年9月15日1972年6月2日1975年4月28日こうこうせい/高校生活動家事件0801茨城県警巡査部長1986年6月12日に無罪確定
1971年1月25日1972年5月2日1975年6月30日けんさつかん/検察官目撃事件2701大阪府警巡査部長1982年6月4日に懲役4月執行猶予2年確定
1974年7月24日1977年3月18日1977年8月25日みやもと/宮本身分帳事件1302東京地裁判事補1987年12月21日に懲役10月執行猶予2年確定
1977年6月19日1979年12月12日1980年12月19日ていすいしや/泥酔者暴行事件0701福島県警巡査1989年3月28日に無罪確定
1979年10月22日1981年3月17日1981年12月16日おのみちはつほう/尾道発砲事件3401広島県警巡査部長1999年2月17日に懲役3年執行猶予3年確定
1980年9月8日1982年8月31日1984年4月24日にしなりしよ/西成署事件2702大阪府警巡査部長1人
大阪府警巡査長1人
1990年11月28日に2人に無罪確定
1984年10月21日1985年11月29日1988年4月26日さかいしよ/境署事件0802茨城県警巡査部長1995年2月1日に無罪確定
1985年11月4日1989年5月10日1990年6月4日はんしんふあん/阪神ファン暴行事件2703大阪府警巡査1995年7月17日に懲役8月確定
1984年4月20日1985年7月22日1991年3月12日/くるめはつほう久留米発砲事件4001福岡県警巡査部長1997年12月8日に無罪
1991年2月13日1994年2月10日1994年10月18日/いしかわけんけい石川県警交通機動隊事件1701石川県警巡査2003年10月21日に懲役3年執行猶予5年
2003年4月20日2006年1月11日2010年4月16日/ならけんやまと奈良県大和郡山市警察官発砲致死事件2901奈良県警巡査部長1人
奈良県警巡査長1人
2014年12月2日に2人に無罪確定
付審判制度初の裁判員裁判
付審判制度初の殺人罪の審理
2005年1月23日2007年1月2008年3月28日/やまぐちけいむしよ山口刑務所刑務官付審判事件3501山口刑務所刑務官2008年10月17日に無罪確定
2007年9月25日2008年3月29日2009年3月3日/ちてきしようかいしや知的障害者身柄確保死亡事件4101佐賀県警巡査2012年9月18日に無罪確定
2006年6月23日2008年7月30日2009年4月27日/とちきけんちゆうこくしん栃木県中国人研修生死亡事件0901栃木県警巡査2013年4月23日に無罪確定
2013年12月17日2016年10月2017年3月1日/にいかたけんけいふほ新潟県警警部補付審判事件1501新潟県警警部補2019年3月1日に無罪確定

※ 太字は死者が出た事件。

過去に裁判所が付審判請求を棄却した事件

  • 2003年2月18日に被疑者を死亡に至らせた宮城県警察の警官らの行為を正当業務行為として不起訴にした仙台地方検察庁検察官に対する付審判請求事件 - 2005年5月30日、仙台地方裁判所が棄却決定[4]
  • 2010年、特許庁がサントリーの特許につき特許無効審判をしなかったことについてサッポロビールが提起した付審判請求事件 - 2013年8月1日に知的財産高等裁判所が棄却決定[5]
  • 2011年発生の佐賀県警警察官らの特別公務員暴行陵虐致傷事件 - 2012年1月10日、福岡高等裁判所第1刑事部が棄却決定[6]
  • 2016年11月25日付拒絶理由通知書の送付を特許庁による職権濫用であるとした付審判請求事件 - 最高裁判所裁判官会議において立件しないことを決定[7]
  • 2021年発生の大阪地検特捜部の特別公務員暴行陵虐事件 - 2023年3月31日に一審が棄却決定[8]

対象

下記の犯罪が対象となる。

脚注

関連書籍

  • 村井敏邦、二瓶和敏、高山俊吉『検証 付審判事件―全裁判例とその検討』日本評論社、1994年。ISBN 9784535510098。
  • 三上孝孔『被告人は警察―警察官職権濫用事件』講談社、2001年。ISBN 9784062720663。

関連項目

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