五十嵐秀助
経歴
安政5年(1858年)、旧米沢藩士・徳間久三郎の三男として生まれる[2]。その後同藩士・五十嵐正和の養子となる。
1882年(明治15年)工部大学校電気科を卒業。工部省に入ったのち、逓信省技師に任ぜられる[2]。1887年(明治20年)東京電信學校教授になり、1889年(明治22年)、電信電話事業視察のために私費で欧米各国を歴訪[2][3]。
東京郵便電信局建築課長、東京電話交換局長、塞累逓信局工務部長などを歴任[2]。東京、横浜等の電話工事の基礎を定める[2]。
その後農商務省特許局技師および宮内省内匠寮御用掛を兼任[2](長男信一の妻セイは富永鴻の妹で、姉たちは農商務省特許局長、宮内省侍医の妻[3])。東宮御所(1909年)の電気工事の設計を担当[2]。
脚注
- 『日本人名大辞典』114頁。
- 『皇室建築 内匠寮の人と作品』418頁。
- 五十嵐秀助 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- 『官報』第5210号「叙任及辞令」1900年11月12日。
- 『官報』第748号「叙任及辞令」1915年2月1日。
参考文献
- (PDF)工学博士五十嵐秀助氏 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
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