久米愛
略歴
1911年、大阪府にて出生。夕陽丘高等女学校、津田英学塾(現・津田塾大学)を経て、明治大学専門部女子部に入学。
1938年に高等文官試験司法科試験に合格し、中田正子、三淵嘉子と共に日本初の女性弁護士となる[2]。
1946年、明治大学短期大学教授に就任。1969年まで務める。
1950年、日本婦人法律家協会(現・日本女性法律家協会)を設立、会長に就任。以後26年間会長職を務める。
1959年以降、政府代表として度々国連総会に出席。婦選会館理事を務めるなど、市川房枝らとともに女性運動をリードした。
1976年、死去。65歳。
脚注
- 『日本の『創造力』 近代・現代を開花させた四七〇人 14 復興と繁栄への軌跡』日本放送出版協会、1993年、p375
- 昭和8年弁護士法改正による。これ以前には明治26年弁護士法があり第2条に資格要件として「成年男子タルコト」と性別要件が規定されていた。それ以前の明治5年司法職務定制、明治9年代言人規則には性別規定はなく、この頃の女性代言人として園輝子が知られている。
参考文献
- 佐賀千恵美『華やぐ女たち―女性法曹のあけぼの』早稲田経営出版、1991年
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.