丸田芳郎

丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日[1] - 2006年5月30日)は、日本実業家京都大学工学博士[1]花王の社長、会長を歴任した。

略歴

長野県更級郡信田村(現長野市)で教師の両親の元に生まれる。1932年旧制長野中学(後の長野県長野高等学校)卒業、1935年桐生高等工業学校(後の群馬大学工学部)卒業。花王の前々身、大日本油脂株式会社に入社[1]1948年3月、京都大学工学博士の称号を得る。学位は丸田たちが研究した航空潤滑油の合成に関する功績による[2]

1954年取締役。1956年常務、1968年専務を経て、1969年、副社長に就任[1]1971年伊藤英三の死去にともない社長に就任[3]バイヤスドルフとの提携でニベア花王を設立し、1982年には「ソフィーナ」を発売して化粧品事業に進出するなど経営の多角化・省力化を進め、公害防止にも努めた。1985年、花王石鹸から花王に社名を変更。また、日本家庭用合成洗剤工業会、日本包装技術協会、日独協会の会長も務めた。

1990年、社長職を常盤文克に譲り、自らは会長となった。1994年、80歳になったのを機に相談役に退いた。

2006年5月30日、肺炎のため91歳で死去。

受賞歴

  • 1988年6月、スペイン市民功労勲章を受章。
  • 1991年12月、ドイツ功労勲章大功労十字章を受章。
  • 1995年4月、勲二等旭日重光章を受章。

脚注

出典

  1. 平田育夫 (2009年1月19日). 【時代のリーダー】丸田芳郎・花王石鹸社長「確信の人」“思い込み”で常識の壁突破 「和の経営」かかげ競争心あおる”. 日経ビジネスONLINE. 日経ビジネスが描いた日本経済の40年. 日経BP社. 2018年4月3日閲覧。
  2. 平田育夫 (2009年1月19日). 【時代のリーダー】丸田芳郎・花王石鹸社長「確信の人」“思い込み”で常識の壁突破 「和の経営」かかげ競争心あおる”. 日経ビジネスONLINE. 日経ビジネスが描いた日本経済の40年. 日経BP社. 2018年4月3日閲覧。
  3. 平田育夫 (2009年1月19日). 【時代のリーダー】丸田芳郎・花王石鹸社長「確信の人」“思い込み”で常識の壁突破 「和の経営」かかげ競争心あおる”. 日経ビジネスONLINE. 日経ビジネスが描いた日本経済の40年. 日経BP社. 2018年4月3日閲覧。

参考文献

外部リンク

先代
伊藤英三
花王社長
1971年 - 1990年
次代
常盤文克
先代
上田常光
日独協会会長
1987年 - 1995年
次代
樋口廣太郎
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