中野城 (紀伊国)

中野城(なかのじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市中野にあった日本の城

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中野城
和歌山県
城郭構造 平城
築城年 不明
主な城主 貴志教信
廃城年 不明
遺構 石垣、大溝
指定文化財 史跡等未指定[1]
埋蔵文化財
包蔵地番号
48「中野遺跡」[2]
位置 北緯34度15分22.0秒 東経135度08分23.1秒
地図
中野城の位置(和歌山県内)
中野城
中野城

概要

築城時期は不明であるが、貴志教信の城であった。戦国時代は、雑賀衆の支城としての役割を果たしていた。

孝子峠越えと大川峠越えのルートが集まる要衝で、和泉国方面から紀伊国の入口にあたるという地理的条件から、天正5年(1577年)、織田信長による第1次紀州征伐を迎え撃つための前線基地となった。しかし、2月に中野城は落城し、織田信忠が本陣を構えた。居城の雑賀城を攻められた鈴木孫一(雑賀孫一)ら雑賀衆は3月に降伏した(『信長公記』)。

遺構として、石垣が民家の塀の下に使用され残っている。また、現在「中野遺跡」と呼ばれる埋蔵文化財包蔵地にあったと推定されており[2]発掘調査により大溝()や輸入陶磁器等の遺物が出土している[1]

脚注

参考文献

関連項目

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