三密

三密(さんみつ)とは密教の用語で、「身密・手に諸尊の印契(印相)を結ぶ」、「口密(語密)・口に真言を読誦する」、「意密・意(こころ)に曼荼羅の諸尊を観想する」の総称[1]。一般の仏教でいう三業にあたり[2]、また仏の場合を指し、三密加持によって相応する[3]。法身の動きと衆生の動きとが一致するのを「無相の三密」といい、身に印を結び、口に真言を唱え、意に本尊を念ずるのを「有相の三密」という。

高尾山の「三密の道」

空海の『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)によると、

「それ如來の説法は、必ず文字(もんじ)による。文字の所在は六塵(ろくぢん)その体なり。六塵の本は法仏の三密すなはちこれなり。平等の三密は、法界に遍じて常恒(じゃうごう)なり」 訳:そもそも如來の説法は、必ず文字によっている。文字の所在においては、六塵(見えるもの・聞こえるもの・嗅げるもの・味わえるもの・触れられるもの・考えられるもの)がその主体である。六塵の本質は宇宙の真理たる仏の三密(身体・言語・意の神秘的な働き)にほかならない。(如来の)差別のない三密は、法界(全世界)に満ち満ちており、永遠である。[4]


とある。空海の「真言」では、大日如来を象徴とする宇宙の根源から発せられた人間の声すべてのこの世界の音を理解し、体得し、それと同一になることで、自分だけではなく、すべての衆生の救済を目的としていた。すなわち「情報としての言語」ではなく、「叡智としての言語」としての「真言」を語ろうとしており、「言語」を正確に発音し、正しく理解することが必要とされたのである。

脚注

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