一柳直郷
一柳 直郷(ひとつやなぎ なおさと)は、江戸時代中期の旗本。通称は献吉。江戸幕府の火事場見廻役を務めた。旗本寄合一柳家(播磨高木陣屋5000石[注釈 1])の、『寛政重修諸家譜』編纂時点での当主である。
凡例 一柳 直郷 | |
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時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝暦6年(1756年)[1] |
死没 | 文化4年7月17日(1807年8月20日)[1] |
別名 | 献吉[2][1] |
戒名 | 霊光院殿荊山宗璞禅定門[1] |
墓所 | 東京都港区の金地院[1] |
幕府 | 江戸幕府 火事場見廻役 |
氏族 | 一柳氏 |
父母 |
父:阿部正韶 養父:一柳直住 |
妻 | 正室:一柳直住の養女(一柳寛直の娘) |
子 | 直敬 |
生涯
実父は阿部正韶。安永2年(1773年)、一柳直住の末期養子として迎えられ、18歳で家督を継ぐ[2]。正室の実父は、一柳家先々代当主(直住の養父)である一柳寛直で、直住正室の妹にあたり、直住の養女として直郷に嫁いでおり[3]、直郷は直住の婿養子の形式をとっている[1]。
安永4年(1775年)、徳川家治に初謁[2]。寛政9年(1797年)、火事場見廻役を務める[2]。
文化4年(1807年)、52歳で没[1]。家督は子の一柳直敬(『寛政譜』には「順之助」として載る[2])が継いだ[1]。
脚注
出典
- 一柳貞吉 1933, p. 31.
- 『寛政重修諸家譜』巻第六百三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.158、『新訂寛政重修諸家譜 第十』p.158。
- 『寛政重修諸家譜』巻第六百三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』pp.157-158、『新訂寛政重修諸家譜 第十』pp.157-158。
- “惟る御生涯や萩の露 虚子”. 吟行ナビえひめ. 愛媛県. 2021年9月12日閲覧。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第六百三
- 『寛政重修諸家譜 第四輯』(国民図書、1923年) 国立国会図書館デジタルコレクション
- 『新訂寛政重修諸家譜 第十』(八木書店、1965年)
- 一柳貞吉『一柳家史紀要』1933年 。
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