ルンピニー・スタジアム

ルンピニー・スタジアム: สนามมวยเวทีลุมพินี: Lumpinee Boxing Stadium)は、タイ王国首都バンコクバーンケーン区ラムイントラ通り沿いにある国技ムエタイ専用の競技施設(国際式ボクシングの試合も開催される場合も有る)。正式名称はルンピニー・ボクシング・スタジアムであり、タイ語ではサナーム・ムアイ・ウェーティー・ルムピニーである。ラジャダムナン・スタジアムと並び、常設施設の中では最高の権威をもつムエタイ試合会場である。

Lumpinee Boxing Stadium
(Sanam Muay Lumpinee)
2005年
施設情報
所在地 タイ バンコク
ラムイントラ通り
位置 北緯13度52分1.36秒 東経100度36分31.88秒
開場 1956年12月8日
所有者 タイ王国陸軍
MGen Teera Kraiparnon,
Stadium Manager
ピッチサイズ 3007.5 m2
使用チーム、大会
Songchai Promotions
Annual King's Cup
収容人員
5,000

概要

1956年タイ仏歴2499年)12月8日開設。当時の収容人数はおよそ1万人。タイ王国陸軍の所有地に建てられ、運営も陸軍によって行われている。ナーイ・サナームとタイ語で呼ばれるスタジアム総支配人は陸軍福利厚生局(กรมสวัสดิการทหารบก)長の少将または中将クラスの将軍が兼任する。好カードの多さ、アクセスと駐車場の利用しやすさから人気があり、ラジャダムナン・スタジアムより集客数平均で優っている。
陸軍が運営しているので、ムアイ・サヤーム紙などでは俗称としてウィッグ・タハーン(兵隊の競技場)と呼ばれることもある。創設記念日の12月8日近辺の火曜日もしくは金曜日には特別大興行が毎年開催される。また、それに先立ってスタジアム独自の年間最優秀選手、年間最高試合などが発表され、記念興行のメインイベントには原則として年間最優秀選手が出場する。
ルンピニー・スタジアムは権威ある施設のため、女性は試合はおろかリングに触れる事もできなかったが、2021年11月13日に初めて女子選手の試合が開催された。また2022年1月16日には初めて総合格闘技の試合が行われた。

国際式ボクシングのナショナル王座も管理・監督している。

スタジアムの移転

新スタジアム
新スタジアムのリング

2012年、所有する王室財産管理局は2014年2月にパトゥムワン区ラーマ4世通り沿いからバーンケーン区ラムイントラ通りにスタジアムを移転する予定と発表した。こけら落としは2014年2月28日に予定通り開催された[1]。ちなみに2000年代半ばに施設の老朽化などを理由に一度移転計画が行われ、数キロ離れた地点に代替の施設が建設されたが、集客の減少が懸念されたため計画が頓挫していた。

試合開催日

毎週火曜日金曜日土曜日に試合があり、一般的な興行日である火曜と金曜は午後6時半より最初の試合が開始される。以前は第1試合の前に正式試合に数えない前座が原則として2試合あり、それから第1試合となっていたが、2011年の半ばごろより、すべての試合を通しで数えるようになった。このため「クーエーク」(คู่เอก )とよばれるメインイベントは通常第7試合である。メインイベントは最終試合ではなく、その後にややレベルの落ちる選手の試合が2つか3つあり、その中には若手選手の国際式ボクシングの試合がしばしば含まれる(以前はラジャダムナンでもルンピニーでも必ず1試合興行内に国際式の試合組み込みが義務付けられたが2000年代後半に同規定が撤廃で国際式の試合開始が著しく減少)。土曜日は2部制で、夕方の部は午後4時半より開始するが、比較的知名度や実力の低い選手が主体のため地元ファンはあまり関心をみせない。夜の部は午後8時半より始まり、10時から11時の試合はケーブルチャンネルのTスポーツで、11時から12時15分ごろまでの試合は地上波5ch(陸軍テレビ局)でタイ全国に生中継される。ただしタイ国内で一番人気のあるヨーロッパ主要国のサッカー中継と時間が重なるため、ビッグマッチが土曜日に行われることは現在ほとんどない。また、仏教王室に関して重要な行事のある日は、曜日にかかわらず試合は一切行われない。

プロモーター

試合の興行権は、審査を受け登録された公認プロモーターのみにある。2012年1月現在では13人でそれぞれ自分の興行名がある。

主なプロモーターにウィラット・ワチララタナウォン(วิรัตน์ วชิรรัตนวงศ、通称“シアナオ”。ラジャダムナン・スタジアム公認のソンチャイ・ラタナスバンと並ぶ大物プロモーター。ボクシングのポンサクレック・ウォンジョンカムのマネージャーでもある。興行名は「スック・ペッインディー」)、バンジョン・ブットラーダムウォン(บรรจง บุษราคัมวงษ์、通称“シアフェアテックス”。実力派選手を多く抱えるフェアテックスジムのオーナー。興行名は「スック・フェアテックス」)、ピーラポン・ティーラデットポン(พีรพงศ์ ธีระเดชพงษ์、通称“ヒヤチュン”。毎週日曜日に地上波7chテレビ局内の特設会場で開催され、生中継される興行のプロモーターでもある。興行名は「スック・ギアットペット」)、プラムック・ロージョンタン(ประมุข โรจนตัณฐ、通称“ガムナンプラムック”。K-1ブアカーオ・ポー.プラムックのマネージャーでもある。興行名は「スック・ポープラムック」)、ピヤラット・ワチララタナウォン(ปิยะรัตน์ วชิรรันวงศ、通称“シアタンク”。上記ウィラットの甥で、2人でムエタイとボクシングの興行を手広く行っている。興行名は「スック・ペットピア」)などがいる。

歴史

  • 1964年極真空手の前身である日本空手道大山道場の選手とムエタイとで異種格闘技戦。2対1で大山道場が勝利。
  • 1969年2月26日、日本人キックボクサー藤本勲がコクデノイを膝蹴りでKO。
  • 1999年5月8日、フランス人キックボクサームラッド・サリがルンピニースタジアム初の外国人王者に。
  • 2001年、大物プロモーター、ソンチャイ・ラッタナスバンがラジャダムナン・スタジアムへ移籍。スタジアム総支配人との確執が原因とされる。
  • 2000年代半ば、施設の老朽化などの理由により移転が計画され、数キロ離れた地点に代替の施設が建設されたが、集客の減少が懸念され移転計画は頓挫。
  • 2008年民主市民連合デモによるラジャダムナンノーク通り周辺の機能麻痺のため、通常ラジャダムナン・スタジアムで行われる興行を代替開催。
  • 2010年反独裁民主戦線のデモによるスタジアム近辺の治安悪化のため、4月から5月にかけて興行を一時中止。
  • 2011年11月、バンコクおよび近郊の洪水のため、一時的に使用不可能となったオームノーイ・スタジアムの興行を代替開催。
  • 2011年12月、スタジアム正面外観に電光掲示板を設置。
  • 2014年2月、旧スタジアムを閉鎖。ラムイントラ通りに新スタジアム開場。

脚注

関連項目

外部リンク

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