ルイス・ギリェルメ・ダ・コンセイソン・シウヴァ

ムリキ(Muriqui)こと、ルイス・ギリェルメ・ダ・コンセイソン・シウヴァ(Luiz Guilherme da Conceição Silva, 1986年6月16日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州マンガラチバ (Mangaratiba) 出身のサッカー選手。ポジションはフォワード

ムリキ
広州恒大在籍時のムリキ (2011年)
名前
本名 ルイス・ギリェルメ・ダ・コンセイソン・シウヴァ
Luiz Guilherme da Conceição Silva
愛称 ムリキ (クモザル[1])
ラテン文字 MURIQUI
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1986-06-16) 1986年6月16日(37歳)
出身地 マンガラチバ
身長 172cm[2]
体重 72kg[2]
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 クルーベ・ド・レモ
ポジション FW / MF[3][4]
利き足 右足
ユース
2001-2003 ブラジルの旗 マドゥレイラ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2008 ブラジルの旗 マドゥレイラ
2004-2005 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ (loan) 15 (3)
2006 ブラジルの旗 パイサンドゥ (loan) 12 (1)
2006 ブラジルの旗 イラチ (loan)
2007 ブラジルの旗 アヴァイ (loan) 20 (5)
2008-2010 ブラジルの旗 デスポルチーヴォ・ブラジウ 0 (0)
2008 ブラジルの旗 ヴィトーリア (loan) 12 (0)
2009 ブラジルの旗 イトゥアーノ (loan) 15 (2)
2009 ブラジルの旗 アヴァイ (loan) 30 (9)
2010 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ (loan) 24 (10)
2010-2014 中華人民共和国の旗 広州恒大 92 (52)
2014-2016 カタールの旗 アル・サッド 23 (15)
2016 日本の旗 FC東京 (loan) 19 (4)
2017 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 2 (0)
2017 中華人民共和国の旗 広州恒大 (loan) 8 (4)
2018 中華人民共和国の旗 広東華南虎 20 (16)
2019-2022 中華人民共和国の旗 石家荘永昌 48 (27)
2023- ブラジルの旗 クルーベ・ド・レモ
代表歴
2004  ブラジル U-20
1. 国内リーグ戦に限る。2023年1月6日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

来歴

初期

2004年にマドゥレイラでトップチームに昇格した。才能のある選手と考えられており、ヴァスコ・ダ・ガマアヴァイを含むブラジルの高いレベルにあるクラブにローン移籍され、2008年にはデスポルチーヴォ・ブラジウに移籍した。

2009年4月14日、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAアヴァイFCに再びローン移籍した。ウィリアムマルキーニョスと共に得点源となった他、相手の脅威としてリーグ最多となる139回のファウルを受けた[5]

アトレチコ・ミネイロ

2009年の終わりにクラブを離れ[6]、2010年1月13日にアトレチコ・ミネイロに加入した[3]。同年の州選手権決勝戦ではジエゴ・タルデッリと2得点ずつ挙げ、優勝に貢献。

広州恒大

2010年6月30日、中国甲級(2部リーグ相当)の広州恒大足球倶楽部にクラブ史上最高(かつ中国国内で最高)の移籍金350万ドルで移籍し、4年契約を結んだ[7][8]。登録表記は「穆里奇」。7月21日の南京有有戦でリーグ戦に初出場し4得点を挙げた。同年は14試合で13得点を挙げ、クラブは優勝と1部昇格を果たした。

2011年にはダリオ・コンカクレオら攻撃的選手が補強される中でも中核であり続けた。5月4日、中国FAカップ貴州智誠戦でハットトリックを記録し、同カップ戦でハットトリックを記録した広州恒大で初めての選手となった。

2011年8月12日、遼寧とのアウェー戦において前半終了間際に起こった衝突が注目の的となった。4日後に中国サッカー協会(CFA)でヒアリングが行われた結果、ムリキが肇俊哲を殴ったと認定され、ムリキには5試合の出場停止(リザーブリーグを含む)と2万5千元の罰金の処分が下った[9]。ムリキは新浪微博において処分は不公平であるとしてシーズン終了後に中国を去ると述べたものの[10]、クラブとの幾度かの話し合いを経て残留を決めた。出場停止により中盤戦を欠場したが通年で16得点7アシストを記録[4]。ムリキのリーグ得点王及びCFA年間最優秀選手に選ばれる活躍により[11][12][4]、広州恒大はクラブ史上初となるリーグ優勝を果たした。

2012年、AFCチャンピオンズリーグでもチームに貢献し、グループリーグでは3得点を挙げた。同年7月3日、広州恒大との契約を2016年6月30日まで更新した[13]

2013年、ダリオ・コンカ及びエウケソンと構成したアジア最強の攻撃陣[14]の中でAFCチャンピオンズリーグでは13得点を記録。得点王とMVPを獲得し広州恒大の初優勝に貢献した。同年末、アジアサッカー連盟(AFC)年間最優秀外国人選手に選出[15]

アル・サッド

2014年7月17日、カタールのアル・サッドに移籍。背番号は広州恒大在籍時と同じ9番[16]。AFCの公式HPによれば、アル・サッドはムリキ獲得に際して、900万ドル(約9億円)を広州恒大に支払ったと報道された。初出場となった同年8月のシェイクジャシムカップでは2得点を挙げ、チームを優勝に導いた[17]。しかし2014-15シーズンは負傷に苦しみ、目立った活躍を残せずに終わった[18]

2015-16シーズンは前半戦の15試合で11得点を挙げる好調ぶりを見せていたが[18]、自らの希望により2016年1月に契約解除[19]。翌2月に退団が発表された[20]

FC東京

2016年3月に訪日し[19]、同年4月1日、JリーグFC東京へ期限付き移籍が発表された[21]。年俸は8000万円(推定)[19]

公式戦から遠ざかっていたためにコンディションを上げる目的で、5月1日のJ3第7節栃木戦には自ら志願してFC東京U-23の一員としてオーバーエージ枠で出場[22]。Jリーグ初ゴールを挙げた。翌6月22日のJ1-1st第13節浦和戦ではJ1初得点。以後も個人技による打開と[23]チャンスメイクで貢献。特に左サイドに入ってからは[24]トップ下の東慶悟と阿吽の呼吸を見せた[25]。しかし、8月末のルヴァンカップ準々決勝福岡戦において左膝外側側副靱帯損傷[26]。同年中の復帰に意欲を見せていたが[27]以降出場することなく帰国した。

同年末には、アル・サッドとの2017年6月までの契約を破棄してFC東京との仮契約を済ませ、訪日後のメディカルチェック及び正式契約を残すのみとなっていたが[28]、古巣のCRヴァスコ・ダ・ガマからオファーを受けると、ブラジルへの復帰願望や[1]膝の不安のために最新医療施設を完備する同クラブの環境に惹かれ[29]、FC東京との合意解消を希望。ムリキの意向が尊重され[30]翌年1月には移籍期間満了による退団が発表された[2]

CRヴァスコ・ダ・ガマ復帰

2017年1月、12年ぶりにCRヴァスコ・ダ・ガマへ復帰[31]。契約期間は約1年半[1]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2008マドゥレイラRJ州
2008ヴィトーリアセリエA120--120
2009イトゥアーノSP州152--152
2009アヴァイセリエA309--309
2010A.ミネイロMG州17671-3111
2010セリエA74-
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2010広州恒大31甲級1413--1413
201111超級2616-242820
20122012-202212
2013269-322911
201462-0062
カタール リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2014-15アル・サッド9QSL741232118
2015-1611161110001711
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2016FC東京11J11941000204
F東23J331--31
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2017ヴァスコ8RJ州
通算ブラジルセリエA 491371-5614
ブラジル州選手権 32800-328
中国超級 7839-768545
中国甲級 1413--1413
カタールQSL 231522322819
日本J1 1941000204
通算日本J3 31--31
総通算
その他の公式戦
  • 2012年
  • 2013年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2014年
    • スーパーカップ 0試合0得点
  • 2014-2015
    • カタール・スターズ・カップ 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2012広州恒大1183-
2013141331
201472-
2015アル・サッド962-
2016FC東京1100-
通算AFC 352031
出場歴

タイトル

クラブ

パイサンドゥSC
アトレチコ・ミネイロ
広州恒大
アル・サッド

個人

脚注

  1. バスコ入団のムリキが中国の食文化に言及「サソリやヘビを食べるなんて考えられなかった」 Cartao Amarelo (2017年1月6日)
  2. ムリキ選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ FC東京 (2017年1月6日)
  3. Muriqui vai trocar o Avaí pelo Atlético-MG em 2010 ClicRBS (2009年12月16日)(ポルトガル語)
  4. 「躍進」のシーズン 2011年の中国、日本、韓国の各プロリーグは全日程を終了。 東アジアサッカー連盟 (2011年12月29日)
  5. Avaí tem o atleta mais caçado e o segundo mais faltoso do Brasileiro clicRBS (2009年12月10日)(ポルトガル語)
  6. Muriqui, ex-Avaí, espera definição com o Palmeiras até quarta clicRBS (2009年12月13日)(ポルトガル語)
  7. 恒大引援再放超级卫星 350万美元天价签巴西猎豹 新浪体育 (2010年6月30日)(中国語)
  8. Chinese football club sign Brazilian striker Muriqui 人民日報 (2010年6月30日)(英語)
  9. 关于对广州恒大足球俱乐部运动员违规违纪的处罚决定 中国サッカー協会 (2011年8月16日)(中国語)
  10. 穆里奇微博透露将离开中国 向恒大申请赛季后转会 新浪体育 (2011年8月17日)(中国語)
  11. 2011中超颁奖揭晓:穆里奇双料先生 马林最佳教练 新華社(中国語)
  12. Muriqui claims awards double in China 国際サッカー連盟 (2011年12月11日)(英語)
  13. Muriqui renova contrato com Guangzhou Evergrande até 2016pt:globoesporte.com (2012年7月3日)(ポルトガル語)
  14. 必然の“ガス欠”で広州恒大に大敗。柏がアウェーで奇跡を起こすには? Number Web (2013年9月26日)
  15. AFC年間国際最優秀選手候補に本田、長友ら ゲキサカ (2013年11月15日)
  16. カタールのアル・サッド、広州恒大のムリキ獲得…昨季ACLのMVP SOCCER KING (2014年7月18日)
  17. Al Sadd claim Sheikh Jassim Cup カタールサッカー協会(英語)
  18. 元ACL大会MVPムリキがアル・サッド退団。中国復帰濃厚か フットボールチャンネル (2016年2月3日)
  19. FC東京 ブラジル人FWムリキ獲得へ デイリースポーツ (2016年3月28日)
  20. 2013年のACL最優秀選手がフリーに…アル・サッド、FWムリキ退団を発表 SOCCER KING (2016年2月3日)
  21. ムリキ選手 期限付き移籍加入のお知らせ”. FC東京. 2016年4月1日閲覧。
  22. ACL得点王がJ3に志願の出場。FC東京のムリキ、来日初ゴール blogola (2016年5月1日)
  23. 【FC東京 vs 湘南】ウォーミングアップコラム J's GOAL (2016年9月9日)
  24. ムリキ、脅威の左MFで復活誓う!! 篠田新体制で慣れ親しんだ位置へ 東京中日スポーツ (2016年7月29日)
  25. サッカーダイジェスト 2016Jリーグ総集編 (No.1374)』日本スポーツ企画出版社、2016年、41頁。
  26. ムリキ選手の負傷について FC東京 (2016年9月13日)
  27. FC東京・ムリキ1カ月半ぶり全体練習に復帰 29日の仙台戦復帰目指す デイリースポーツ (2016年10月19日)
  28. Muriqui acerta rescisão com Al Sadd e deve assinar com FC Tokyo por 2 anos pt:globoesporte.com (2016年12月11日)(ポルトガル語)
  29. À la Conca no Fla, Vasco oferece estrutura para Muriqui se recuperar UOL Esporte (2017年1月5日)(ポルトガル語)
  30. ムリキは古巣バスコへ完全移籍 東京中日スポーツ (2017年1月7日)
  31. Muriqui é mais um reforço do Vasco para a temporada 2017 CRヴァスコ・ダ・ガマ (2017年1月5日)(ポルトガル語)

関連項目

外部リンク

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