ユニエスキ・マヤ

ユニエスキ・マヤ・メンディスーラYunesky Maya Mendizula, 1981年8月28日 - )は、キューバ共和国ピナール・デル・リオ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

ユニエスキ・マヤ
Yunesky Maya
メキシコシティ・レッドデビルズ
ワシントン・ナショナルズ時代
基本情報
国籍ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国に亡命)
出身地  キューバ
ピナール・デル・リオ州ピナール・デル・リオ
生年月日 (1981-08-28) 1981年8月28日(41歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2010年9月7日
KBO / 2014年8月1日
最終出場 KBO / 2015年6月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム キューバの旗 キューバ
WBC 2006年2009年
獲得メダル
 キューバ
ワールド・ベースボール・クラシック
2006野球

経歴

キューバ時代

2003-2004シーズンからキューバ国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"のベゲロス・デ・ピナール・デル・リオに所属。

2004-2005シーズンにはリリーフ投手として防御率1.61で最優秀防御率を獲得。

2005年9月に第36回IBAFワールドカップキューバ代表に選出された。

2005-2006シーズンは先発投手に転向するも成績が伸びず、7勝9敗・防御率3.79に終わった。

2006年第1回WBCのキューバ代表に選出された[1]。この大会では、1次リーグのパナマ戦では勝利投手となっている。7月には2006年中央アメリカ・カリブ海競技大会の野球キューバ代表に選出され、11月には第16回IBAFインターコンチネンタルカップのキューバ代表に選出されている。

2007年7月に2007年パンアメリカン競技大会の野球キューバ代表に選出された。11月には第37回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。

2008-2009シーズンは再び先発に戻って防御率2位の2.22を記録した他、13勝4敗で最多勝投手、アロルディス・チャップマンの130奪三振に次ぐ2位の119奪三振となる好成績を残した。

2009年3月に開催された第2回WBCのキューバ代表に選出され[2]2大会連続2度目の選出となった。この大会では、2度目の日本戦となる3月19日に小笠原道大に先制打を記録された。

ナショナルズ時代

2009年夏にメキシコ亡命しようとするが失敗して代表チームから追放された後に、9月にキューバから亡命。メジャー入りを狙ってドミニカ共和国でメジャー球団との入団交渉を行った。

2010年7月31日ワシントン・ナショナルズと総額800万ドルの4年契約を交わした。

同年9月7日にメジャーへ昇格し、同日のニューヨーク・メッツ戦でメジャーデビュー。初登板は先発し5回5安打4失点で負け投手となった。この年は5試合に登板し、0勝3敗、防御率5.88だった。

2011年3月25日にAAA級シラキュース・チーフスへ異動し、開幕をAAA級で迎えた。5月29日トム・ゴーゼラニーが故障者リスト入りした為、メジャーへ再昇格することになった[3]。昇格後は4試合に先発したが、0勝1敗、防御率6.86と結果を残せず、6月15日にAAA級へ降格。7月30日に再昇格し、同日のニューヨーク・メッツ戦で5.1回を5安打無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。翌日の7月31日にAAA級へ降格。9月6日に再昇格したが、先発としての登板はなく、リリーフとして5試合に登板した。この年は10試合に登板し、1勝1敗、防御率5.23だった。

2012年3月15日にAAA級シラキュースへ異動。この年はAAA級で28試合に登板し、11勝10敗、防御率3.88だった。

2013年3月18日にAAA級シラキュースへ異動し、開幕をAAA級で迎えた。5月21日に再昇格。同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦の同点10回裏から登板したが、パブロ・サンドバルから2点サヨナラ本塁打を打たれ、負け投手となり、5月25日にDFAとなった。5月27日にAAA級シラキュースへ降格した。結局この年は1試合の登板にとどまり、11月18日に放出された。

ブレーブス傘下時代

2014年1月13日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。

斗山時代

7月25日に、不振により退団したクリス・ボルスタッドの代役として、韓国プロ野球・斗山ベアーズと契約した。

同年は11試合で2勝をあげ、2015年シーズンも再契約した。

2015年4月9日のネクセン・ヒーローズ戦でノーヒットノーランを達成した[4]。だがそれ以降振るわず、6月13日に退団となった。

斗山退団後

2016年2月2日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約。

2017年は所属球団なく、オフにドミニカのウィンターリーグでプレー。

2018年7月10日にメキシカンリーグアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約したが、8月1日に解雇となる。

2019年はメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約したが、2試合の登板で13失点を喫し、4月13日に解雇となる。

2020年オフにはドミニカのウィンターリーグでプレー。

選手としての特徴

投球は145キロ前後の速球と縦のカーブチェンジアップで組み立てる投球。コントロールはかなり安定しているが、その半面、球をストライクゾーンに揃えすぎるため、時に連打を浴びることもある。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003-2004 PRI 500----200--1.0004310.090302500310.901.20
2004-2005 3610----527--.71436989.27203022825022161.611.14
2005-2006 21184----790--.438523118.2144936551008058503.791.52
2006-2007 2940----6313--.66734790.06642455716015141.401.00
2007-2008 3031----688--.42931873.27352877693033273.301.37
2008-2009 21197----1341--.765584146.0113740111196039362.221.05
2010 WSH 550000300.00011826.03031112123218175.881.58
2011 1050001100.50012432.24031022150119195.231.53
2013 100000100.00030.1210000002254.006.00
2014 斗山 11111002400.33327863.06762404542036344.861.44
2015 13131102500.28631768.18363125620362628.171.67
CNS:6年 1424512----392629--.6002184528.04732516120224462801701442.451.21
MLB:3年 16100001500.16726359.07272134273339385.801.58
KBO:2年 24242104900.308595131.11501255291162398966.581.56
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • キューバで通常用いられる個人通算成績は、プレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない

背番号

  • 29(2010年 - 2011年)
  • 31(2013年)
  • 19(2014年 - 2015年)

代表歴

脚注

  1. 2006 Rosters (英語). The official site of World Baseball Classic. 2012年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月18日閲覧。
  2. 2009 Rosters (英語). The official site of World Baseball Classic. 2012年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月18日閲覧。
  3. Kilgore, Adam (2011年5月29日). Yunesky Maya starts, and the Nationals lineup”. The Washington Post. 2011年5月29日閲覧。
  4. 韓国プロ野球、歴代12番目ノーヒットノーラン誕生

関連項目

外部リンク

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