モーリス・ドラージュ

モーリス・ドラージュまたはドゥラージュMaurice Delage, 1879年11月13日 - 1961年9月21日)は、フランス作曲家。 

モーリス・ドラージュ(1930年)

パリ6区出身。ラヴェルに作曲を学び、その芸術サークル「アパッシュ」の一員となる。ラヴェルの『』のなかの「鐘の谷"La vallée des cloches" 」は、ドゥラージュに献呈されている。藤田嗣治と親交があり、室内アンサンブルと声楽独唱のための『俳諧』の出版譜は、藤田が装丁を手懸けている。

ドゥラージュの実家は富裕な商人で、1912年の33歳の時、父についてインド日本に滞在し、当時のフランス人作曲家には珍しく、アジア民族音楽の実態を現地で触れて知っていた。[1]

パリ16区オートゥイユの自宅前で(Maurice Delage devant sa maison, 25, Grande Avenue de la Villa-de-la-Réunion, Paris 16e, en 1930)

アジアの音楽からの影響は、デビュー作でかつ最も有名な作品となった『4つのインドの詩 』: Quatre poèmes hindous)に表れており、インドの様々な民族楽器の音色を描写するために、弦楽器の頻繁な特殊奏法(グリッサンドポルタメントピッツィカート)や、ドローンを表す低音楽器の持続音が利用されている。この作品は、初演に立ち会ったドビュッシーから絶賛されたが、生来神経質だったドゥラージュにとって、大家からのあまりに高い評価は、生涯プレッシャーとして覆いかぶさったようであり、これ以降は慎重にゆっくりと作曲する姿勢をとった。よりはっきりとインドの古典音楽を利用しているのは、『ラーガマリーカ Ragamalika 』(1912年~1922年)である。この作品にはプリペアド・ピアノが要求され、インドの太鼓を模倣するために、ピアノのバスの音域の弦の下に、厚紙を差し挟むように指定されている。

パリ16区オートゥイユのラ・ヴィラ=ド=ラ=レユニオン大通り(Grande Avenue de la Villa-de-la-Réunion)25番地に居住し死去した。

外部リンク・参考文献

  • Pasler, Jean (2000). "Race, Orientalism, and Distinction in the Wake of the 'Yellow Peril'." In Western Music and Its Others: Difference, Representation, and Appropriation in Music, ed. Georgina Born and David Hesmondhalgh. Berkeley, Los Angeles, and London: University of California Press.
  • Spiers, John. Maurice Delage. *Maurice-ravel.net.

脚注

  1. Jann Pasler (1986) Confronting Stravinsky: Man, Musician, and Modernist, p.278, University of California Press ISBN 978-0-52005-403-5
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