マリーア・フランチェスカ・ディ・サヴォイア

マリーア・フランチェスカ・ディ・サヴォイアイタリア語: Maria Francesca di Savoia, 1914年12月26日 - 2001年12月7日)は、イタリアヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とその王妃でモンテネグロニコラ1世の娘であるエレナの間の四女、末娘。

マリーア・フランチェスカ
Maria Francesca
サヴォイア家

全名
出生 (1914-12-26) 1914年12月26日
イタリア王国の旗 イタリア王国ローマ
死去 (2001-12-07) 2001年12月7日(86歳没)
フランスの旗 フランスマンドリュー=ラ=ナプール
配偶者 ルイジ・ディ・ボルボーネ=パルマ
子女
父親 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
母親 エレナ・デル・モンテネグロ

生涯

1914年12月26日、ローマで両親の5番目の子として生まれる。マリーア・フランチェスカ・アンナ・ロマーナ(Maria Francesca Anna Romana)と名付けられた。きょうだいにはヨランダ=マルゲリータマファルダジョヴァンナの3人の姉と、兄のウンベルトがいる。

結婚後でのマリーア・フランチェスカとルイジ

1939年1月23日、ローマのクイリナーレ宮殿においてパルマロベルト1世と後妻のマリーア・アントーニア・デル・ポルトガッロ夫妻の息子の1人で、最後のオーストリア皇后ツィタの同母弟であるルイジ(ルイ)と結婚した[1]

結婚後はカンヌに移り住み、夫との間に4人の子女をもうけた。子供たちは全員カンヌで誕生している。第二次世界大戦中はナチスによって夫と年長の子ども2人と共に抑留された[2]。1945年、連合軍に解放されるとイタリアに帰り、戦後はしばらくイタリアで暮らした後フランスに戻った。1967年に夫が没した後はカンヌ近郊のマンドリュー=ラ=ナプールに永住した。

子女

(名前はフランス語表記で示す)。

  • ギー・シクスト・ルイ・ロベール・ヴィクトル(1940年 - 1991年)
  • レミ・フランソワ・グザヴィエ・ルイ・ロベール・ヴィクトル(1942年 - )
  • シャンタル・マリー・エレーヌ・シャルロット(1946年 - )
  • ジャン・ベルナール・レミ(1961年 - )

脚注

    1. Genealogisches Handbuch des Adels, Fürstliche Häuser, XII. "Haus Bourbon". C.A. Starke Verlag, 1984, p. 19. (German).
    2. de Badts de Cugnac, Chantal. Coutant de Saisseval, Guy. Nouvelle Imprimerie Laballery. Paris. 2002. pp. 597-598, 619. (French) ISBN 2-9507974-3-1

    外部リンク

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